ドラフト上位は必至!157キロ右腕・篠木健太郎(法大)の貪欲すぎるピッチングへの姿勢「一番欲しいのは勝利」【ドラフト候補インタビュー】
大学3年まで「対打者」との勝負が出来なかった
――篠木投手の木更津総合時代を振り返ると、ストレート主体の投球で、最後の夏の独自大会で30回を投げて34奪三振、防御率0.60と圧倒的な内容で優勝していますが、入学直後は東京六大学のレベルの高さを痛感されたのですね。 篠木 入学して直後、自分にとって一番自信のあるストレートで空振りが奪えませんでした。変化球の精度も大事だと痛感させられて、打ちにくいと思わせる変化球を投げるにはどうすればいいか考えてきました。 ――高校時代のストレートの球速は140キロ後半。大学では最速157キロまで伸びました。どのようにしてスピードアップに努めてきましたか。 篠木 高校時代にやっていなかったウエイトトレーニングを始めて、体の出力を高めました。高校時代は一度だけ150キロが出たことがありますが、このときは「速いな!」と感じながら投げていました。大学に入って、ある程度、150キロを投げられる感覚は掴みました。ただがむしゃらに速球を投げるのではなくて、試合の中で重要な場面では力を入れたり、指のかかりを良くしたりして、コントロールができるようにしました。 ――2年生のとき、平塚球場で行われた大学代表選考合宿で157キロが出ました。あのときはどんな心境で投げていたんでしょうか。 篠木 あの時は「ここが一番のアピール場所だ」と思って、全力で投げた結果が157キロでした。 ――3年生の選考合宿では、150キロ台を連発していましたが、制球に苦しむ場面もありました。あの合宿で良かったことと改めて課題になったところはありましたか。 篠木 出力の高い状態を維持できたことは良いことでした。打者に対して自分のボールをどう投げてどう抑えるのか、今ほどはっきりしなていなかったというのが反省点です。球数がかさむと苦しい投球になります。試合が作れないことに悔しさがありました。
元プロコーチのアドバイスで投球の引き出しが増えた
――当時から進化できた要因はなんでしょう。 篠木 元プロだった高村祐助監督(近鉄など)が就任したのが大きくて、この春のリーグ戦では試合中にコミュニケーションをとって、投球内容のすり合わせをしてきました。 高村さんからは投球スタイルについてのアドバイスをもらいました。春先にはフォークとカーブを教わりました。今まではスライダー主体だったので、変化を入れることができました。 もともとカーブは投げていたんですけど、武器と呼べるほどの精度はありませんでした。フォークは初めて挑戦した球種になります。この2球種を教えてもらって、投球の奥行きは広がったと思います。 ――この2球種を投げる上でどんなアドバイスをもらいましたか? 篠木 フォークについては握りから教わって、どういうイメージで投げるのか。右打者、左打者でも落とすイメージが違うということを教わりました。高村さんのアドバイスは分かりやすく、自分のイメージ通りに落とすことができました。カーブについてはカウントを取るだけの緩いカーブで、自分の投球スタイルの中で、ブレーキの効いたカーブを投げたいと思っていたので、120キロ中盤のカーブをいれました。 フォークは空振りを奪う目的で春から投げ始めましたが、投球の幅は広がりました。今はゴロを打たせるためのフォークの習得にも取り組んでいます。カーブは夏休みの間に習得しました。 ――秋はさらに投球の幅が広がった篠木投手が見られるんですね。 篠木 変化球の種類が増えても、自分はストレートが中心です。ストレートを活かすために枝葉の部分は鍛えてきたつもりです。 ――チームはリーグ優勝を目指す中で、篠木投手の個人的な目標はありますか? 篠木 勝つことだけです。この1年間、勝つことだけ求めてきました。春にリーグ優勝を逃して悔しい思いをしてきました。この4年間、いろんな経験をしてきたので、恩返しが形となるのは勝利だけです。自分を育ててくれた法政大学に恩返しをして笑顔で終わりたいと思います。 ――ドラフトが迫っていますが、どういうところをアピールしたいと思っていますか。 篠木 自分について評価するのは第三者です。だから自分でコントロールできることをコントロールしようと思っています。他の人を意識しないわけではないですけど、他の人よりは自分のやることをやって、チームの勝利に貢献することが一番ですね。 <篠木 健太郎 しのぎ けんたろう> 177センチ80キロ。右投げ左打ち。群馬県明和町出身。 館林ボーイズ時代は県選抜。木更津総合では1年春からベンチ入りし、140キロ台の直球を投げ込む。1年夏では甲子園を経験。2年春からアベレージで140キロ中盤を計測し、2年夏は千葉大会準決勝敗退。2年秋も準決勝敗退。そして高校時代は主将も歴任。3年夏の独自大会では5試合で防御率0.60の回答で千葉大会優勝に貢献した。法政大進学後は1年秋からリーグ戦デビュー。4年春までリーグ通算41試合、11勝10敗、186奪三振、防御率2.16。大学2年、4年に大学日本代表にも選出されている。最速157キロの速球、フォーク、カーブ、カットボールで翻弄する総合力の高い右腕としてドラフト上位候補に挙がっている。