歴史と絆を次世代へ 大牟田の子孫ら与論島訪問 口之津集団移住から125年
1899(明治32)年、台風や干ばつ、悪疫により飢饉(ききん)にひんした鹿児島県与論島の住民が長崎県口之津(現南島原市)への大規模な集団移住を行ってから、今年で125周年になる。その後、福岡県大牟田市に再移住した子孫らで構成する「大牟田・荒尾地区与論会」(朝岡光男会長)47人が21~23日、与論島を訪問。移住に関する史跡巡りや島民との交流を通じ、その歴史と絆を次世代へ引き継ぐ決意を新たにしていた。 「与論町誌」などによると、与論島民の集団移住は当時、旧三井三池炭鉱が長崎県口之津港で行っていた石炭の沖積み作業員の募集に応じる形で決まり、第1陣は240人、次いで1900年に100人、01年には400人が移住した。最も多い時期には口之津に、島の人口の約5分の1に当たる1200人余りがいたとされる。 10年、福岡県三川村(現・大牟田市)の三池港完成に伴い、与論島出身者428人が大牟田へ再移住。出炭量の増加とともに作業員の募集が行われ、大牟田へ直接移住する与論島民もいた。 大牟田・荒尾地区与論会の会員は現在約200人。会としての与論島訪問は15年ぶりで、今回は▽集団移住当時の戸長・上野應介氏と共に移住団を先導した東元良氏の参拝▽島民との交流-などを目的とした。訪問初日にあった交流会には島民と訪問団計約110人が参加。炭鉱労働の中で生まれた福岡県の民謡「炭坑節」を一緒に踊るなどして親交を深めた。 2日目は125周年の郷土訪問を記念し、島内に建てられた石碑前に会員がヒカンザクラ2本を植樹。上野、東両氏の頌徳碑やゆかりの地を巡ったほか、与論城跡、百合ヶ浜など島の観光も楽しんだ。早朝には島民有志でつくるボランティアグループ「海謝美(うんじゃみ)」と海岸清掃も行った。 父親が与論島出身で、家族6人で来島した森光廣さん(83)=大牟田市=は「父は酒を飲んだら、泣きながら島の事を話していたのを思い出す。今回は家族みんなに支えられ、来ることができた。祖先がここ(与論島)から出たんだということを孫に見せたかった」と感慨深げに話した。 訪問団最年少で初来島の孫・悠登さん(14)は「移住の歴史はテレビなどで知り、島民が差別されていたのはひどいと思った。自分だったらそんな事はしない。与論島はこれまで遠い存在だと思っていたが、島の人が温かく歓迎してくれ、自分も島の一員なんだと感じた。また来たいと思う」と話した。 朝岡会長(68)=同=は「与論会は現在3、4世が中心となり、島との関わりが薄くなってきている。今回の訪問が次の世代の交流につながればうれしい。与論島は〝心のふるさと〟という思いで、今後も島との絆を深めていきたい」と話した。