F1がまだ「めちゃくちゃ」だった頃の話 ひどいチームで溢れかえった80~90年代 歴史アーカイブ
駄目駄目なチーム
そして、オニクスの希望はリオで完全に打ち砕かれた。予備予選を通過したブラバム勢(アイルトン・セナのポールタイムに1.5秒及ばなかった)に、7秒、10秒の遅れをとったのだ。 実際には、オニクスのシーズンは、連続DNPQ(予備予選落ち)を遮るポルトガルでの奇妙な表彰台のおかげで成功だった。しかし、ユーロブルン・チームとザクスピードの鈴木亜久里は、そのシーズン17戦すべてで予選落ちを喫している! ユーロブランは1990年に撤退し、代わりにライフがやってきた。控えめに言って、笑い話にもならないほどひどいチームだった。ファーストの重量過多の旧型シャシーに独自のW12エンジンを組み合わせたが、その最高出力は他のエンジンの3分の1にも満たなかった。 ドライバーのゲイリー・ブラバムは、事前予選で35秒の遅れをとり、2度のDNPQの末にリタイアした。彼は後に、マシンにタコメーターが付いておらず、メカニックは他チームからタイヤ空気圧計を借りなければならなかったと明かしている。 極めつけは、1992年に婦人靴のセールスマンがコローニを買収したことだった。アンドレア・モーダは、まずエントリー料を支払わなかったとして出場停止となる。代表は公の場で批判的な態度を取ったドライバーを解雇。後任の1人はライセンスを取り消される。その後、カナダGPではジャッドへのエンジン使用料未払いでエンジンが足りなくなる。フランスGPではトラックが渋滞に巻き込まれて欠場。ドライコンディションでウエットタイヤを履いたドライバーを予選に送り出す。そして、代表が詐欺容疑で逮捕される。 「F1の信用を失墜させた」として追放されたのも無理はない。 その後、F1はエントリー料を引き上げ、適切なデューディリジェンスを行うようになった。賢明なやり方だ。ただ、今、少しやり過ぎてしまっているのは残念だ。
クリス・カルマー(執筆) 林汰久也(翻訳)