ディーンアンドデルーカは猛反対されていた。敵を味方にする根回しの「3点セット」とは
世界的な原料高騰が続く中、追い風を受ける日本の商社業界。中でも伊藤忠商事は財閥系以外の総合商社として時価総額を大きく伸ばしている。なぜ、伊藤忠は圧倒的な成長を遂げているのか。その答えの一つは、創業以来受け継がれてきた「商人」としての心構えにある。 【全画像をみる】ディーンアンドデルーカは猛反対されていた。敵を味方にする根回しの「3点セット」とは 本連載では、岡藤正広CEOをはじめ経営陣に受け継がれる「商人の言葉」を紐解きながら、伊藤忠商事がいかにして「商人」としての精神を現代に蘇らせ、新たな価値を生み出しているのかを深掘りしていく。 連載第6回は、2003年に伊藤忠が戦略的業務提携を結んだ「ディーンアンドデルーカ」を始めとした、ブランドビジネスの話。
「ファッションだけがブランドではない。ブランドは衣食住のいずれにもある」
伊藤忠がブランドビジネスで大きな変革をしたのはファッション以外の分野をブランド、ライセンス化したことだろう。 従来の衣料品、バッグ、靴などの雑貨、宝飾品だけでなく、ニューヨークのジャズレストラン、ブルーノート、グルメストアのディーンアンドデルーカ、ベルギー発祥のベーカリーレストラン、ル・パン・コティディアンといった飲食店を日本に持ってきて、ライセンス商品を作って販売した。 加えて食器やインテリアの分野では、イタリアのリチャード・ジノリのビジネスを手がけた。 「すそ野広ければ山高し」を合言葉にビジネス領域を拡大したのである。ただ、当初は苦労した。それは扱う領域の問題だった。 繊維部門が食品ブランドをコントロールすることに対して、食料部門から異論が出たのだった。ディーンアンドデルーカを日本で出店させる場合、通常であれば食料部門が担当する。ただ、食料部門はブランドビジネスに精通しているわけではないから、店を出すことはできても、ショッピングバッグのようなライセンス商品を作って売り出そうとはしない。伊藤忠の繊維部門は店舗の出店に止まらず、ブランドにして、商品のすそ野を広げたいと考えた。だからこそ、ディーンアンドデルーカを日本に持ってきたのである。 岡藤は食料部門のトップと交渉し、ディーンアンドデルーカのブランド化を進めた。そうして、ブランドビジネスを高収益のそれにしたのである。 これが商人の考え方だ。ブランドはファッションだけではない。衣食住のいずれの分野でもブランドビジネスが成り立つことを証明したのである。 その後も同社のブランドビジネスは拡大深化を続けている。日本で成功したビジネスノウハウをアジアから全世界に広げた。 ブランドは商標権の買収に止まらず、ブランドを所有する会社そのものを買収した。ひとつの例がアメリカのブランド企業、レスポートサックだ。レスポートサックを買ったことで、生産から販売までのグローバルネットワークを手に入れた。