“発達障害専門”のフリーペーパーが創刊から部数3倍に。編集長に聞く「当事者だからわかる」成功の秘訣
2号までは完全に自前でやっていた
発達障害に対する知識を広めることができればと、2か月の準備期間を経て発刊に踏み切った。 「2号までは完全に自前でやっていましたね。取材や執筆依頼、デザインはもちろんのこと、設置のお願いや広告掲載の営業、冊子の発送作業も含めて全てです。すると3号あたりから共感してくださる方が出てきて、校正などを手伝っていただけるようになりました。4号からは執筆などで関わってくださる方が増えてきましたね」 『凸凹といろ。』の中身は当事者インタビュー、専門家の連載、体験レポート、コラムなどだ。現時点で6号まで発刊されているが、インタビュイーや記事執筆者の多くは発達障害当事者だ。「ありがたいのですが、なかには急に連絡が取れなくなって、居なくなることもあります」と、ゆーさんは快活に笑う。 「しょうがないから他の原稿に差し替えてバタバタ作って、発行した後に『すみませんでした、しんどくなっちゃって』みたいなことはありますね。初めて直面した時はめちゃくちゃパニックになりました」
一番ショックだった「金の亡者だ」と言われたこと
それでも発行部数を3倍近く増やすまでには、相当な苦労があったはず。大きなトラブルや批判など、困っていることは今のところないのだろうか。 「批判だなって思うほどの批判は実はまだないですね。距離感を間違えたり、関わり方や言い方を失敗したりとか、私がミスってトラブルになったことはありますよ(笑)。ただ、一番ショックだったのは、利益はほとんど出てないのに『金の亡者だ』って言われたことですね。あとは単純に勘違いで『反社の人と付き合いがある』という話をされたこともあります」 達観した様子のゆーさんだが、小学校以外まともに卒業していなかったり、転校した先の中学校でスクールカーストに巻き込まれていじめられたりと、過去にはつらい経験をしたという。 「多動性障害(ADHD)があるのでよくわかんない動きして悪目立ちするんですよね。高校入っても、身体が重くて朝起きられず学校に行けなかったり、登校途中に別のところに行きたくなって、そのまま遊びに行ったりしました。美術の学校も、課題の提出期限を守れなくて結局留年して辞めて、通信学校に転校してやっと高校卒業資格を取りました。 経歴もめちゃくちゃで、20代の間は水商売ばかりしていましたし、詐欺に遭ってしまったこともあります。でも生きていればなんとかなるんですよね。なので、自分がこれから何ができるのかみたいなことを考えてほしいなって思いますね。発達障害はいくら落ち込んだって結局治らないので、開き直って『私はこういうものだ』って受け入れて周りの人に伝えていくほうがきっと楽なんじゃないかなって思いますね」