「福田村事件」史実と異なる映画に憤慨 誤解を解くために語り続ける「この現場で起きたこと」 #ニュースその後
人権教育の題材
市川さんは自ら語り部として現地での学習会のほかに県内外で講演を続けている。約20年間で案内した人は約3千人に上る。 「人の命が奪われることはあってはならない。それがこの現場で起きた」 8月7日、同市三ツ堀の香取神社。鳥居の下に小中学校の若手教員らが足を進めた。行商団のうち、助かった6人がいた場所だ。少し離れた場所にかつて水茶屋があり、その前の腰掛けにいた9人が犠牲になった。市川さんは消防活動などで使うとび口を手に「これらが凶器になり(犠牲者は)頭を割られ、体を刺された」と当時の様子を説明した。 埼玉県から訪れた教員らは事件現場や近くにある追悼慰霊碑を巡り、市川さんの話に耳を傾けた。研修は人権教育担当者が対象で、20年ほど前から続いているという。今回の研修に参加した小学校長は「20年前にも研修でここに来た。市川さんはその間、地道な活動を続けている。正しい歴史を広めていると感じた」と感想を述べた。
2市長が弔意
100年の節目の昨年、地元自治体との距離も縮まった。野田市の鈴木有市長は6月の市議会一般質問で「被害に遭った人たちに謹んで哀悼の誠をささげたい」と答弁。柏市の太田和美市長も9月の市議会一般質問で「亡くなった方々の命の尊さを思うと誠に心が痛む」と述べた。 30年近く事件の真相究明などに取り組んでいる市川さんは「公の責任者が(公式の場で)弔意を示したのは初めて。市民運動などの活動が社会的な関心を高め、それが後押しした」と感慨深く語る。 同時に、映画によって広がった誤解を解くため、後世に伝える活動を継続することの必要性を改めて感じている。 20年前に追悼慰霊碑を建立する際は「福田村事件」と刻むことさえためらう状況があったという。地元にとっては負の歴史で触れられたくない空気があった。市川さんは「こうした考えを解放できるかが課題。乗り越えないといけない」と力を込める。 ※この記事は千葉日報とYahoo!ニュースによる共同連携企画です