「福田村事件」史実と異なる映画に憤慨 誤解を解くために語り続ける「この現場で起きたこと」 #ニュースその後
「映画=史実」ではない 実名明かした遺族の覚悟
フィクションと史実の区別が付かないことで史実を伝える活動にも影響が出ているという。学習会で事件を説明した際、参加者から「映画の内容と違う。間違ったことを言っている」と詰められたことを紹介。「映画のストーリーが史実であるかのように広まっている。誤った内容が一人歩きして定着することを危ぶんでいる」と嘆く。 6日の追悼行事に参列した遺族関係者も同じ思いだ。中嶋英喜さん(55)は「将来、映画を見た人が内容を史実と思ってしまうだろう」と懸念を示した。 映画の負の影響も感じている。知人らから「犠牲者の親せきなのか」と電話を受けたり、地域で県外ナンバーの車や知らない人をたびたび見かけたりと「二次被害」にさらされている。 谷生右京さん(47)は「子どもがまだ小さい。何が起こるか分からないのは不安」と述べた。一方、中嶋さん、谷生さんとも昨年の追悼行事では匿名で取材を受けたが、今年は実名で応じた。「名前を隠すことは先人に対し背を向けている感覚がある」「黙っていては差別の問題はなくならない」と思いを明かした。
虐殺はなぜ起きた 背景に「複合差別」
むごたらしい虐殺がなぜ起きたのか。市川さんが強調するのは、複数の差別意識が重なった「複合差別」が背景にあるという点だ。 一行は被差別部落出身で地元で職を得ることが難しく、行商に生活の道を求めていた。震災直後の混乱で朝鮮人による略奪や放火を伝えるデマが広がり、各地で民間の自警団による朝鮮人に対する暴行、虐殺など殺傷事件が起きていた。福田村でも武装した自警団が警戒を強めており、そこに現れた行商団が不審者と疑われた。 市川さんは講演で「押し売り」「浮浪人」とともに「不正行商人」の通報を呼びかける当時の警察ポスターを紹介する。だが「不正」かどうかは外見では分からない。社会が動揺する中、人々の警戒心が増幅され、自警団には行商団が「あやしい一行」と映った。
「朝鮮人と誤認説」に一線画す 行商団の男性証言
当時13歳で行商団の1人として事件に遭遇し奇跡的に助かった男性は、後の聞き取りに地域の警戒ぶりを以下のように証言している。 福田村で薬を売るために戸別訪問すると「消防組とか警備員とかがずっとついて来て、家に入ると3人ぐらいが竹やりを持って『おまえ、どこから来たのか』と聞くので鑑札(薬の販売証明書)を見せ、信用してもらって奥で話をした。こうしたことが何回かあった」 市川さんは、行商団が朝鮮人と誤認された説とは一線を画す。聞き慣れない讃岐弁で朝鮮人と間違われたというのが定説とされてきた。 「裁判で被告は『朝鮮人と間違えた』と答えている。私は罪を軽減するための方便とみている。『朝鮮人であれば殺してもよい』との考え方につながらないか」 香川県の遺族と交流を重ね遺族宅を訪ねると、仏壇にある位牌(いはい)に「殺されたり」「惨死す」などの記載があった。「遺族は今でもこのような位牌に線香を上げ拝んでいる。事件は終わった話ではない。今でも続いている」