八代亜紀さん、急速進行性間質性肺炎で急逝。専属ヘアメイクとして29年間を過ごした大内さんが最期を語る「約束していたエンゼルメイクを施して」
「雨の慕情」「舟唄」などで知られる《演歌の女王》八代亜紀さんが、2023年12月30日、急速進行性間質性肺炎で亡くなった。八代さん専属のヘアメイクとして長い年月を共にした大内聡子さんと、大内さんの夫で八代さんと長く親交があった俳優の新田純一さんが、八代さんを偲び語り合う(構成:平林理恵 写真提供:大内さん) 【写真】八代さんは、髪型のイメージをササっと描いて渡すことも * * * * * * * ◆すぐよくなるだろうと思っていた 新田 もう八代さんに会えないなんて、まだ信じられない。9月に入院されるほんの1週間前に、旅番組のロケで香川県に行き、一緒に讃岐うどんを食べて……。楽しかったよね。 大内 いつも通りの明るくて元気な八代さんでした。 新田 夕食の後は、お酒やつまみを買い込み、スタッフ全員が八代さんの部屋に集まって恒例の飲み会。八代さんはほとんどお酒を飲まないんだけど、いつもおしゃべりの中心にいて、「お酒足りてる?」と、気配りも忘れない。姉御肌で優しくて。 大内 そうそう。一緒に仕事をすると、みんな八代さんが大好きになっちゃう。 新田 あのときもロケを終えて、「お疲れさま」と笑顔で解散。その1週間後くらいに、病院に行ったら膠原病とわかり、急きょ入院することになった、と。そばにいた僕たちが一番驚いた。 大内 ロケに出る前に、八代さんの首のあたりに湿疹みたいなものができていたんです。「あせもかな?」と思って、皮膚科で処方された軟膏を塗り、その上にファンデーションをのせていました。あとから思えば、それが膠原病の皮膚症状の1つだった。 新田 でも膠原病には、急激に悪化して命にかかわるような病気というイメージはないじゃない。すぐよくなると思ってた。 大内 私もそうです。
新田 入院中は限られた人しか入室を許されないから、当然僕は八代さんには会えなかったけど、29年間ヘアメイクを担当していた聡子さんは、八代さんの事務所スタッフと代わる代わる病室へ行き、話し相手になったり、ほしいものを届けたり。僕は、毎日あなたから様子を聞いては、ああ大丈夫だって。 大内 9月、10月、11月と本当にお元気だったんです。病室では、シャンプーをさせていただいたり、足湯を用意してマッサージをしたり。病院食に飽きたとおっしゃるので、大好物の焼き芋を買って持って行ったらすごく喜んでくださって。 新田 電子レンジの使い方を初めて覚えた、と言ってたよね。 大内 そうそう(笑)。それから新幹線の車内でよく召し上がっていた崎陽軒のシウマイ弁当を差し入れたときは、日頃は小食な八代さんがほぼ完食。これが11月の終わりでした。 同じ頃、八代さんの病室に泊まり込んだ日があって。夜、ちょうどテレビで再放送されていた八代さんの特番を一緒に見ながら横で何曲か歌ってくださったんです。声もしっかり出ていて、八代さんも「まだ歌えるよ!」とおっしゃっていた。ご本人も年明けの復帰を信じていたと思います。 新田 僕は八代さんと二人でラジオ日本の『ムーンラウンジ八代』という番組をずっとやらせていただいてきたんだけど、八代さんに「新田くん、頼むよ!」と言われ、入院中はナビゲーターとして一人、番組の留守を守っていた。 病室で聞いている八代さんに向けたコメントを入れたりしながら、パワーアップした八代さんが年明けに戻ってこられるんだな、と勝手にワクワクしてたんだ。