貴景勝引退でよみがえった「大親友でライバル」北天佑の記憶…元大関琴風の「演歌と土俵」
有希奈さんの夫の貴景勝関に対しても「いつの間にか、有希奈と同様に大事に思うようになったし、自分の弟子のように心配もする」ようになった。引退については「静かに決断を待つだけだ」と話した。
トークショーがあった日の夜、「貴景勝引退」が発表された。
北天佑勝彦
ほくてんゆう・かつひこ 本名・千葉勝彦。1960年、北海道室蘭市生まれ。三保ヶ関部屋に所属し、「北海の白熊」と呼ばれた。83年5月場所後に22歳で大関昇進、優勝2度。2006年6月、45歳で死去。
現代ではスポーツ医学が進歩し、力士も内視鏡手術など様々な治療を選択してリハビリに入る。問題は医師から完治を告げられたときだという。「医学的に完治したとしても入院中に稽古を休み、体から相撲が消えてしまった状態では相撲は取れない」と指摘した。
琴風は関脇、小結も経験していた1978年11月の九州場所で左膝の靱帯(じんたい)を損傷し、出場を強行した翌年1月の初場所では同じ靱帯を断裂する大けがを負った。
手術と入院生活の末、4場所連続の休場で幕下にまで落ちた。だが、本場所には出られなくとも、師匠の佐渡ヶ嶽親方(元横綱琴桜)からは連日、「土俵に上がれ」「まわしを締めろ」と促された。痛みを押して稽古場に立ち、相撲勘が鈍らないよう努力を怠らなかったそうだ。
「土俵を離れることの怖さ」を知る師匠の親心が、再起と大関昇進への道を切り開いたといえる。当時は21歳。折れそうな心は故郷の祖母・ふみさん自作の短歌が奮い立たせてくれた。
琴の音よ 谷間の岩も貫きて 江戸かき鳴らせ 伊勢の神風
琴風豪規
ことかぜ・こうき 1957年、津市栄町生まれ。71年、元横綱琴桜(当時大関)に弟子入りし、同年7月、佐渡ヶ嶽部屋から初土俵。膝の大けがを乗り越え、81年9月場所後に大関昇進。優勝2度。尾車親方としては事業部長などを歴任。