モスル陥落は“時間の問題”「イスラム国」はその後どうなる?
イラク政府軍による「モスル奪還作戦」は、過激派組織「イスラム国」(IS)を囲い込みつつも、ISの抵抗もあり、戦闘は現在も続いています。作戦開始から1か月半以上が経ったモスルとISの現状について、軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏に寄稿してもらいました。 【写真】「イスラム国」はなぜ国家ではないのか?
幹部級は脱出? バグダディの所在は不明
イラク政府軍がシーア派民兵「人民動員隊」やクルド自治区治安部隊「ペシュメルガ」などと合同で、イラク北部にある同国第2の都市モスルの攻略戦を開始したのは10月17日のこと。あれから1か月以上が経過したが、戦況はどうなっているのだろうか。 モスルはISのイラクでの本拠地で、数千人のIS兵士が立てこもっている。攻めるイラク政府軍は少なくとも2万5000人以上。前述した連携部隊を合わせると、おそらく10万人規模の兵力がモスル攻略作戦に参加しているものとみられる。また、米軍を中心とする有志連合も、空爆でイラク政府軍を支援している。
「10万人規模」対「数千人(最大で8000人ともいわれるが、おそらくもっと少ない)」で、しかも武装レベルもイラク政府軍が上であるから、戦況はもちろんIS側が劣勢だ。 イラク政府軍は主にモスル東部から市内に攻め入っており、すでに市内の3分の1を制圧した。北部と南部はクルド部隊などが攻めたてており、こちらもISは劣勢だ。
モスルの西部は、シリアのIS拠点への回廊に繋がっており、ISにとっては補給経路、つまり生命線と言っていいが、そこも今はシーア派民兵が押さえており、市内のISは外部との補給路を遮断されている。つまり、イラク政府軍側がモスルを完全に包囲していることになる。 イラク政府軍によるモスル攻略戦が開始された当時は、ISの幹部多数がモスル市内に潜伏していたとみられるが、その後、戦闘の隙をついて幹部クラス多数が、西部の回廊から市外に脱出したらしいとの情報がある。おそらく多くは、そのままシリアに逃走したものと思われるが、この西部回廊をシーア派民兵が制圧した11月23日以降は、そのルートも使えなくなった。最高指導者のアブバクル・バグダディの所在は不明である。 ただし、予想されたことだが、圧倒的な兵力差にも関わらず、戦況は長期戦の様相を呈している。その要因の一つは、モスルにはいまだに50万人とも150万人ともいわれる多数の住民が住んでおり、彼らが事実上の人質となっていることがある。 ISは部隊を住民に紛れさせるなど、いわゆる「人間の盾」として住民を使っており、イラク政府軍やクルド部隊としても、ある程度は民間人の犠牲を抑制しなければならないから、やむくもに無差別攻撃はできない。多数の海外報道陣を従軍させているクルド部隊はともかく、イラク政府軍やシーア派民兵はさほど住民保護を考慮していないとの見方もあるが、それでもまったく巻き添えを考慮せずに無差別攻撃をかけているわけではない。 また、IS側の抵抗が激しいことも事実である。ISは仕掛け爆弾や自爆攻撃を多用しているが、それによってイラク政府軍の進撃がしばしば食い止められている。兵力は少ないものの、IS兵士は死を恐れない戦闘員たちであり、その高い士気は白兵戦ではかなり有効だ。それに、IS兵士たちは指導部から徹底抗戦を命令されており、戦況が絶望的になったとしても投降することはないだろう。