プアマンズポルシェの「914」が1億円以上の価値!? 理由は14台のみ生産された「914/6 GT」だったと聞けば納得です
モンツァ1000キロ耐久でクラス優勝の輝かしいヒストリー
この夏、ボナムズ社の「The Quail 2024」オークションに出品されたポルシェ914/6 GTは、シャシーナンバー「914.043.0181」であり、自ら「スクーデリア・タルタルーガ」というレーシングチームを主宰し、多くのポルシェレーサーを輩出した裕福なスイス人プライベーター、エルンスト・ザイラーが新車で購入したファクトリー製レーシングカーとのこと。イタリア語で「亀」を意味する、ちょっと自虐的なチーム名とは裏腹に、ザイラーはなかなかの腕利きのレーサーだったそうで、長いスポーツカーのキャリアを通じて何度も優勝や上位入賞を果たしている。 1960年代半ばに「356」から「911T/R」に乗り換えた後、ザイラーは新型914/6 GTを手に入れた最初のプライベーターのひとりとなった。シャシーナンバーは「0181」で、強力な906型エンジンを搭載し、レモンイエローに白と赤のストライプが入った特徴的なカラーリングに仕上げられていた。 1970年春、ザイラーは「ハート・スキー・レーシングチーム」としてホッケンハイムで開催された「DARMマインツ・フィンテン」に参戦し、デビュー戦でクラス4位という素晴らしい成績を収めた。 その後も、主にペーター・エットミューラーとペアを組むことが多かったザイラーは1970年から1971年にかけて複数のクラス優勝や表彰台を獲得。最高の戦果となったのは1971年の「モンツァ1000km」耐久レースにおいて、2000cc以下GTクラスで優勝、総合13位という素晴らしい成績を収めたことだった。 さらに翌1971年の「ニュルブルクリンク1000km」では、「シェル石油」のスポンサーシップが得られたものの、シャシーナンバー0181はそのキャリアを通じてつねに特徴的なイエローのカラーリングをまとっていた。
2006年に発見され改修をスタート
ところが、1974年になるとエンジンに致命的な損傷が発生、無念の引退となったのち、1976年ごろにザイラーが同郷のエンツォ・カルデラーリに売却した。カルデラーリはホッケンハイムで1度だけながらレースで走らせたことが判明しているが、そののち2人のスイス人オーナーを経て、静かに保管されていたという。 しかし、約30年の時を経た2006年、イギリスのポルシェ愛好家、サイモン・バウリーがスイスのガレージでシャシーナンバー0181を発見した。この段階で、小さな914のオドメーターには約1万2000kmのマイレージが刻まれていたとのことである。 新たなオーナーとなったバウリー氏は、入手の直後から「レストア」とはあえて呼ばないながらも親身な改修をスタートさせる。まずはイギリス国内の「スポーツヴァーゲン」社でボディを剥離し、オリジナルの色合いの「ツィトロンゲルブ(レモンイエロー)」でリペイント。エンジンとギアボックスはドイツのスペシャリスト「カール・フロッホ」社に送って入念なリビルドを施した。 リペイントののち、ハートフォードシャーにあるポルシェ・スペシャリスト「ジャズ・ポルシェ」は、シャシーコンポーネントの分解、クラックテスト、改修を必要に応じて行った。最後にレストアされたローリングシェルは、リビルドされたエンジンの取り付けのためにカール・フロッホ社のワークショップに搬送された。