伊那谷楽園紀行(1)プロローグ・住めば都という真理
人は何故、その土地に出かけ、住もうと思うのか。ITが発達した現在、都市と地方の情報格差はなくなり、移住のハードルは確実に下がっている。消費よりも精神的な豊かさを求める「田舎暮らし志向」、定年やリストラなど否応なく訪れた人生の転機と第二の人生。理由は様々だが、人は「移住」に見果てぬ夢を追いかける。5年あまりの取材してきた長野県伊那谷を舞台に、そこに住まい、漂泊する人々の姿から「地方移住」を考える。(ルポライター・昼間たかし)
「住めば都」。どんな所でも住み慣れればそこが最も住みよく思われるもの。 昔の人は、うまいことを考えたものだと思う。生涯、ひとつの場所に住み続けることができる幸せな人は少ないもの。たいていの人は仕事や進学、人生の節目やなにかの決意を得て、住むところを変えていく。 日本国内に限らず、世界のどこに住んでも、そこがまったく不満のない理想郷なんてことはあり得ない。ただ、幾ばくかの月日を過ごす中で、その土地の気候や風土。食べ物や土地の人柄に慣れて「ここは、住みやすい土地だな」と納得していくものである。あるいは、住んでいる時は不満ばかりだったのに、その土地を離れてから「あそこは、とても住みよい土地だったのに」と、初めて魅力に気づくこともある。 それは、都会に住もうが田舎に住もうが、変わらない。 先日、ある取材で千葉県の船橋市を訪れた。首都圏のベッドタウンに位置づけられる、この街は今年住宅情報サイト「HOME’S」(運営:ネクスト)の調査で「買って住みたい」ランキング1位の街となった。2位は目黒。以下、浦和、戸塚、柏と続く。前年の調査で1位になっていたのは吉祥寺。2位は恵比寿。以下、品川・武蔵小杉・池袋と続いていた。僅か1年の間に、順位はガラリと変化した。 なぜ船橋が? トップに輝く理由は街の人に聞けばすぐわかる。 「もちろん、交通の便がいいから。東京まですぐいくことができるから」 都心のマンション価格が高騰する中で、開発の進む船橋は、手頃な価格の我が家を求める人々の受け皿となっている。その交通網は、都心に比べて割安な不動産価格に不釣り合いなほどに便利だ。都心まではJR総武線や地下鉄東西線で30~40分程度。通勤時間は1時間程度である。時間帯によっては、西船橋駅始発の列車もあるから、座って通勤することもできる。そんな「船橋都民」の増加によって、船橋市の人口は右肩上がり。2017年には63万人を突破。県庁所在地では鹿児島市の人口を抜き、鳥取県の県全体の人口約56万人を遙かに超えている。 そんな「買って住みたい」街・船橋だが、不動産価格や通勤・通学時間という実利的な面を除けば目に見えるような住みやすさというものは、あまり感じられない。 例えば、地域のターミナル駅である船橋駅。そこは、どこか凡庸な風景が広がる繁華街である。店舗の数は多く、休日となれば混雑している。けれども「この土地ならでは」というものは、ほとんど見られない。繁華街に軒を連ねる店は、みんな都心でも神奈川でも埼玉でも、どこでもあるようなチェーン店ばかりなのである。