伊那谷楽園紀行(1)プロローグ・住めば都という真理
今、都心の周縁にある都市では、どこでもそんな風景が当たり前になっている。駅の改札をくぐって、一歩外に出ると、どこにでもあるコンビニチェーンや薬局チェーン。ファミレスや飲食店。どこでも、同じ看板に彩られて、同じものが同じ価格で売られている。もちろん、味だって同じだ。そんな均一化の最先端を船橋市は進んでいるように見える。 均一化の波はとどまるところを知らない。これも取材で訪れた埼玉県飯能市。都心からも離れ、いまだに古い商店街が現役の街も次第に、均一化されていっている姿が、そこにはあった。 でも、それは不幸な出来事なのだろうか。 少なくとも、実際に街に暮らす人々は、凡庸になっていく街に不便さを感じてはいない。 パッと見で、なにも面白さを感じない船橋でも、人に話を聞くと「ここは、住みよい街」だというのだ。一週間の大半を都内で過ごす人と、その家族で占められようとしている街。そうした人に利便性を感じさせる方向へと街は進化を続けている。 スーパーは深夜まで開いているのが当たり前。店によっては24時間営業も行っている。イオンのような大規模チェーンが存在感を増す中で、生活必需品は極めて安い。そのイオンを中心としたショッピングモールは、日常生活のためだけでなく、娯楽や余暇をも提供してくれる存在だ。スーパーに併設される専門店や飲食店の存在によって、多くの人は十分に満たされている感覚を得ているのだ。 常に最先端の物質的豊かさを求めれば、きりがない。もし最先端だけを求めるのならば、きっと銀座のド真ん中に住んでも、満たされることはないだろう。たいていの人は、ある程度の水準で満足出来るのである。そして、日本国内に限れば、一部の離島など交通困難な地域を除くと、都会と田舎の物質的な格差は縮小しているように見える。 この春、和歌山県新宮市で取材をした時、現地に移住した平野薫禮という女性に出会った。彼女が夫や子供と共に暮らすのは、新宮市熊野川町嶋津。そこは、名古屋から特急で3時間半かかる新宮駅から、さらに車で40~50分ほどの紀伊山中の集落。周囲はすべて奈良県と三重県に囲まれた飛び地の限界集落である。世帯は7軒。人口は13人。宿泊施設もコンビニもなければ、自動販売機もない。 事実上「なにもない土地」。なのに、その集落には全国から大勢の人がやってくる。目指すのは「日本一の絶景」。それは、山を分け入った果てに見える、北山川の蛇行が見せる風景。平野が家族で立ち上げた「自称・日本一小さな観光協会 嶋津観光協会」は、ネットを活用した宣伝をしたり、テレビの「珍風景」系番組に、その絶景を投稿した。そのかいもあってか、その小さな観光協会の絶景ツアーに、人がやってくるようになった。 もちろん、収益の額はしれている。ただ、集落に防犯灯がつく程度にはなっているという。インターネットをはじめとしたテクノロジーの発達は、情報の距離を縮め、ネット以前ならば知ることはなかった。知っても、行きたいとまでは思わなかった土地の情報をもダイレクトに得ることができるようになった。 そして、物質的な格差も縮小している。山深い集落での暮らしには、なにかと不便もあるのではないかと、尋ねたら平野は、こういった。 「Amazonもちゃんと来ますよ」 かつて、この地域が林業で栄えていた時代。筏に乗って川を下った筏師は、新宮までたどり着くと賃金を受け取ってどんちゃん騒ぎをした。それから、三日ほどかけて徒歩で、また山中の集落へと戻っていったという。戦後になっても、そうだったというから数十年前と比べれば、地域は新幹線が開通したどころではない便利な土地になっている。 都心に住んでいると、ふとせっかちになりすぎていることに気づく時がある。ネット通販で注文しても、到着が数日後だと「なんて遅いんだ!」と思うことも、しばしばだ。 でも、つい10年ほど前と比べるとどうだろう。情報の伝達はダイレクトに。しかも、インターネットを使えば電話代のコストもかからない。道路や物流網の整備で、都会でも田舎でも、どこでも同じものが、同じ程度の値段で手に入るのが当たり前になってきた。 それは、都心から地方への移住という人生の決意を、かつてとは違うものへと変えている。格差の消失は、そこに住む決意というハードルを限りなく低くしているように思える。