なぜ「体験格差」は広がるのか…選択肢が少なくなってしまう要因
体験の場をより包摂的に
障害であれ、外国ルーツであれ、この社会の中でマイノリティとして生きる人々は、差別的な言動や構造に直面することも少なくない。同時に、マジョリティとして生きる人々の多くは、この社会が自分たちにフィットするようにできており、それがマイノリティにとって排除的な性質を有していること自体になかなか気づかない。 村上さんは、自分の子どもの特性を考えて、博物館やコンサートに行くことを避けている。しかし、そのとき村上さんが考えているのは、実は自分の子どもの特性だけではない。そうではなく、むしろその特性が受け入れられない「社会」のことを考えているのだ。問題は子どもの側の特性にあるのではない。その特性を「迷惑」だと捉え、かれらを白い目で見る社会の側にこそ問題があるのだ。 マイノリティの子どもを持つ親は、自分たち親子がこの社会のどこでなら受け入れられ、どこでなら受け入れられないかの境界線を敏感に察知している。そして、嫌な思いをしないために、子どもにさせないために、どこに行くか、どこには行かないかを熟慮している。 子どもたちの「体験」の幅は、そうした日々の判断によって狭まっていかざるを得ない。だが、それはマイノリティの側の問題だろうか。明らかにそうではない。こうした不均衡な構造自体を直視し、様々な「体験」の場を、みんなが一緒に参加できる、より包摂的なものへと変えていくことが、マジョリティには求められるだろう。 体験格差にとって経済的な側面は非常に重要だ。だが、ここで述べてきたマイノリティを取り巻く様々な壁の存在も、体験格差を助長し、拡大する重要な要因としてある。 本書の引用元『体験格差』では、「低所得家庭の子どもの約3人に1人が体験ゼロ」「人気の水泳と音楽で生じる格差」といったデータや10人の当事者インタビューなどから、体験格差の問題の構造を明かし、解消の打ち手を探る。
今井 悠介(公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン代表理事)