幽霊になったローマ皇帝たち、カリギュラからネロまで、悪名高き一族の異常な生と「死後」
今も語り継がれる古代ローマの「3大幽霊伝説」
ローマ皇帝のカリギュラ、その妹の小アグリッピナ、そしてその子どもであるネロは、歴史と伝説に消せない傷痕を残している。彼らは、神格化された初代ローマ皇帝アウグストゥスの子孫だが、その治世は権力争いの陰謀と暴力に満ち、彼らの行動は古代の歴史家たちにローマ人らしからぬ異常なものとみなされた。それから2000年ほどが経った今なお、人々の心を奪う古代ローマの悪名高い支配者たちの幽霊話を紹介する。 ギャラリー:絶対に「出る」 世界の心霊スポット20選
カリギュラ:自らを神と宣言
カリギュラは、生前から自身を神と宣言した最初のローマ皇帝だ。さらに、ローマの神々の王であるユピテル(ジュピター)と交信でき、月と交われるとも言い張った。 こうした、ひどくなる一方の誇大妄想と、ローマ市民を蔑視していたことは非常に悪評が高かった。あるときには、「ローマ人の首がひとつなら簡単に斬れるものを」と嘆いたという。 神を目指したカリギュラの野望は、悲惨な末路を迎えることになる。古代の歴史家カッシウス・ディオによると、カリギュラは最期の瞬間、民衆と暗殺者たちが力を合わせたことを指して、「自分の首はひとつだが、ローマにはたくさんの手がある」ことを知った。 暗殺者たちは、カリギュラを何度も刺したうえ、遺体を切り刻み、陰部に剣を突き刺したともいわれる。「カリギュラの肉を食べた」とする記述さえある。カリギュラの遺体は、まにあわせの火葬場で火葬されたあと、浅い墓穴に投げ込まれた。 その後まもなく、暗殺現場となったパラティーノの丘にカリギュラの幽霊が出ると言われるようになる。夜な夜な不気味な霊たちが墓のある庭を徘徊し、恐ろしい姿が現れない日はなかったと伝えられている。
小アグリッピナ:復讐に燃える母
カリギュラは暗殺される前、妹のアグリッピナをポンティーネ諸島に追放した。その際に、「私には、敵を流す島だけでなく、剣もある」という不吉な内容の手紙を送りつけている。 それでもアグリッピナは、兄を埋葬し直すためにローマに帰った。おそらく政治的なアピールだろうが、粗略に埋葬された兄の悪霊をなだめようとしたのかもしれない。 その後、次の皇帝となったクラウディウスと結婚した。しかし、彼は自分の叔父だった。米マサチューセッツ大学アマースト校の教授で、ギリシャ時代やローマ時代の幽霊についての著書があるデビー・フェントン氏は、「当時でも、これは許されることではありませんでした」と言う。 「アグリッピナは冷酷な野心家でした」とフェントン氏は言う。皇帝の妹であり、姪であり、妻であり、そして母ともなるアグリッピナは、ローマで比肩する者がないほどの影響力を手にすることになった。 しかし、アグリッピナはその権力欲によって身を滅ぼすことになる。歴史家のタキトゥスによると、彼女の息子のネロが生まれた日に、やがてネロがローマを統治し、アグリッピナを殺すだろうとの予言があったという。アグリッピナはひるむことなく、こう答えたという。「統治できるなら、私を殺せばいい」 アグリッピナについての著書がある、カナダ、ブリティッシュ・コロンビア大学の名誉教授のアンソニー・バレット氏によると、ネロが10代で皇帝になったときも、アグリッピナは女性としてまったく前例のないほどの権力を手にしていた。しかし、ネロは長ずるにつれて、母親の影響力をうとましく思うようになっていった。 ネロがいかにして母親を殺害しようとしたかは、ある種の伝説のようになっている。まずは毒殺を試みた。次に、睡眠中に天井が崩れるような仕掛けを作った。どちらも失敗に終わると、ネロはアグリッピナを宴に招き、沈没するように作られた船に乗せた。 しかし、アグリッピナは島流しにあっていたころに泳ぎが得意になっていたため、泳いで脱出することができた。一方で、不運な召使いもいた。助けてもらおうと自分はアグリッピナだと叫んだところ、船員たちにオールで殴り殺された。 最終的に邸宅に追いつめられたアグリッピナは、最期に身の毛がよだつような言葉を吐く。刺客たちに「私の子宮を刺すがいい」と命じ、自分を裏切った息子が生まれてきた場所を狙うよう要求した。 アグリッピナの死後、墓のそばから謎めいた慟哭が聞こえるようになったという。また、ネロは、たいまつを振り回す復讐の女神たちの姿を見るようになった。罪の意識と妄想に悩まされたネロは、降霊術によって母親の霊を呼び出し、許しを乞おうとさえした。