幽霊になったローマ皇帝たち、カリギュラからネロまで、悪名高き一族の異常な生と「死後」
ネロ:呪われた皇帝
母の死後、ネロの狂気はますますエスカレートする。政治にはほとんど興味を示さず、自ら歌ったり劇場で演劇の舞台に上がったりすることを好むようになった。 これは古代ローマ人にとって恥ずべき行為だった。「このように変わった願望があったため、古代の歴史家たちは、舞台上で演じていない時であっても、ネロのことを『見せかけの達人』と表現しました」と、米シカゴ大学の古典学教授であるシャディ・バーチ氏は話す。 やがて、味方も次々とネロのもとを去る。ある夜、ネロが目を覚ますと、宮殿には誰もいなかった。ネロは元老院から「国家の敵」と呼ばれ、死を宣告されてローマから逃亡した。リンチを恐れたネロは、短剣で喉を刺して自殺した。 しかし、死をもってしても、ネロがローマ人の記憶から消えることはなかった。ネロの治世下で迫害された初期キリスト教徒たちは、ネロを「反キリスト」と見なした。ヨハネの黙示録の預言で、やがて再び現れ、善と悪の最終決戦の火ぶたを切る者という意味だ。 ネロの亡霊は、中世ローマにも現れたと言われる。伝説によると、サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂のそばにあるクルミの木が悪魔の活動の中心地となり、そこで巡礼者たちが襲われるようになった。その木の下に、ネロの遺骨が埋められていたからだという。中世のローマ教皇パスカリス2世は、ネロの亡霊をローマから追い出すため、この木を切って遺骨をテベレ川に捨てさせた。 「拷問や暗殺を含め、殺人が日常茶飯事だったのが古代ローマです。幽霊の話には事欠かなかったはずです」。前述のフェルトン氏はそう話す。ただし、有名人の幽霊はめずらしかった。「この悪名高い一族の3人は、とりわけ恐ろしい人生を送りました。だからこそ、ローマ人に絶えずつきまとうようになったのでしょう」
文=Lanta Davis and Vince Reighard/訳=鈴木和博