「長嶋茂雄引退試合」でひっそりと現役を退いた”もう一人の選手”の正体…川上監督が「お前もおつかれさん」と労った”稀代の満塁男”
「オーケー!広野行け!」
「代打、行かせてください!」 首脳陣に選手みずから出場を直訴するのは通常ではありえない。それは彼らの起用法に異を唱えることを意味する失礼なふるまいだからだ。しかし、この絶好の機会を前に広野はそうせざるを得なかった。 「俺からそんなことを監督に言えるわけがない。自分で監督に言え!」 徳武は、広野の一世一代の進言を袖にする。 「選手がこんなにお願いしているのに、無碍に扱うのはどうなんだと腹が立ちましたよ。なんなんだこの人はと。こんなコーチにはならないと、後年、指導者になってからは心に決めていましたね。それで、僕は監督のウォーリー与那嶺(要)に『野球生命を賭ける打席です。行かせてください!』と頭を下げたんです」 広野の意気込みを買った与那嶺は「オーケー!広野行け!」と送り出した。演出家で古典演劇評論家である戸部銀作は、逆転サヨナラ満塁本塁打を2本打った広野に、かつてこう言ったことがあった。 「広野君、君は他の人が絶対やれないことを2度もやったんだよ。もう一度打ったら、その時には新聞記者を集めて記者会見をしなさい。今日限りで引退します。神様のお告げがあったから、僕は『逆転満塁サヨナラ本塁打教』の教祖様になりますと言いなさい」 戸部に冗談混じりに言われていた広野だったが、みずからのけじめとしてこの場面を待っていたのである。 「真っ直ぐが来て、弾き返したんです。人生でも指折りの会心の当たりだったんですが、ライトライナーでアウトです。これで、自分の野球人生に悔いはないとスッキリしました。 試合後、与那嶺さんに『明日からファームに行ってまいります』と言い、二軍に行ったんです。二軍に行くときには、引退を決意していました。ただ、二軍の選手のお手本になるように練習はしっかりしていましたよ」 広野が引退を表明した後、中日は20年ぶりの優勝を果たした。10月12日の大洋とのダブルヘッダーに連勝して中日が優勝を決めると、同日V10を阻止された巨人の長嶋茂雄が引退を表明。 中日の優勝が霞むほどの衝撃が日本中に走ったのだった。これにより、翌13日、後楽園球場での中日との今季最終戦ダブルヘッダーが、長嶋茂雄の引退試合となるはずだった。しかし、これまた広野へ不思議な巡り合わせが回ってくる。
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