自分が何者かわからなかった――独立から3年、個を確立した西内まりやの「気張りすぎない」生き方
2018年3月末の事務所独立後、西内まりや(27)は海外を中心にモデル業などで活動し、今年6月配信のNetflix『全裸監督2』で4年ぶりの女優復帰を果たした。独立前後の心境の変化をまっすぐに語る途中、退所前に飛び交った報道について質問すると、彼女は覚悟を決めて話し始めた――。(文:岡野誠/撮影:木村哲夫/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
全てをなくす覚悟で独立した
「人それぞれ、幸せの定義って違うと思うんですよ」 はたから見れば、西内まりやの芸能人生は順風満帆だった。2007年、ファッション誌『ニコラ』に中2でモデルデビューし、3年後には『セブンティーン』に活躍の場を移す。14年に「日本レコード大賞」の最優秀新人賞に輝き、17年にはフジテレビの月9ドラマ『突然ですが、明日結婚します』に主演した。だが翌年3月、デビュー以来所属していた事務所を退所。歌手、女優、モデルと“3足のわらじ”を履いていた彼女は全てを完璧なレベルにしたいと思うあまり、理想と現実のギャップに苦しんでいた。 「たくさんの仕事をいただいて、とてもありがたい環境でした。ただ、いろんな仕事をしていくなかで、本当の私の姿ってなんだろうって。13歳から仕事をしてきて、求められることに応えるのに必死で、自分という人間がわからなくなっていたんです。全く自信のない状態で人前に出ることは恐怖でしかなくて。いずれ、ファンの方たちも離れていくだろうなと思ったんです。だから一度、自分を見つめ直したかった。もう全てをなくす覚悟で独立しました」
「頑張れば必ず結果がついてくる」と思い過ぎていた
国体優勝経験のある母が指導する水泳教室に5歳から通い、小3でバドミントンを始め、腹筋500回と6キロ走を日課とした。努力が実を結び、2005年の「福岡市民総合スポーツ大会 小学校6年の部」など市大会で4度の優勝を飾り、将来を有望視される選手に成長した。そんななか、中1の夏に福岡で事務所にスカウトされ、週1回のレッスンを重ねるうちに、表現の仕事に魅了されていく。翌年秋、バドミントンで日本一になる夢を断って上京した。 スポーツで養われた精神力で芸能界に立ち向かい、常に自分を追い込んでいった。だが、トレーニングの成果が数字に表れやすいスポーツに比べ、芸能界に浮遊する“人気”はふわっとしすぎていて、どうすればつかめるのか誰にもわからない。 「スポーツと芸能は全くの別物でした。『頑張れば必ず結果がついてくる』と思い過ぎていて。実家に帰ったときも『今、新曲の練習ができるんじゃないか』と焦ってしまい、心が休まらなかった。だから、パンクしちゃったんでしょうね。以前は何でも頑張らなきゃいけない、走り続けることだけが成功だと思っていました。でも、一度心が壊れてから修復するという経験も、表現の仕事では必要な材料になる。ふらっと外を歩いたり、家族や友達と話したりしたとき、心にスッと刺さる感情も大切ですよね。考え方が変わりました」