【昭和の隠れ名車】ソアラに撃墜された悲運のスペシャリティカー『日産レパード』
宣伝下手がアダに。1982年に誕生した新ジャンルのニューエイジカー
日産レパードといえばTVドラマ「あぶない刑事」の劇中車である2代目があまりにも有名。しかし、この2代目はトヨタ・ソアラの対抗馬として誕生したモデル。つまり、マーケットの都合でデザインから技術、各種装備をライバルに合わせて作られていました。 この記事の他の画像を見る
レパードは新規車種だったのですから、その志は初代モデル(1980-1986年)にこそ宿るのではないか? そんな思いで当時をちょっと振り返ってみました。
スペシャリティカーの元祖といわれるのはトヨタ・セリカなんですが、還暦オジサンのワイにはスペシャリティカーとは思えずスポーツカーという位置付け。セリカはモータースポーツに参戦戦するレース車両になっていましたし、とてもニッチ向けとは思えません。
そもそもスペシャリティカーって一般的に「乗用車のコンポーネントを活用したスポーティなデザインのクルマ」って定義なのですが、未来ちっくなデザインと先進的メカニズム(あるいは贅を尽くしたハイテク装備)の採用なくして特別感はありません。
初代レパードは1980年(昭和55年)9月に登場。設計は伝説のスカイラインGT-Rを生み出した桜井眞一郎さんが統括。デザイナーは内野輝夫さんでブルーバードSSSなんか有名だと思いますが、まあ、当時の日産を代表するゴールデンコンビが作りました。
いま思えば当時の日産にブランディングなんて考えは微塵も感じられず、黒船襲来といわれたゴーンさんが来るまで脳内になかったのではないでしょうか。つまりラインナップは玉石混合。車種は言いませんがバブル期には「上層部がアンポンタンだからこんなクルマになってしまった」と取材中にエンジニアが吐露するほどの状況に。
その点、レパードはバブル期前の新規車種。車名のレパードはそのままんま豹ですが、ボディタイプは2ドアH/T、4ドアH/Tの2種類。側面後部のグラスエリアが広く、定石から離れた洗練されたデザインでした。開発拠点は横浜・追浜ではなく東京・荻窪の旧プリンス自動車。