「最高の死」を支える「死のドゥーラ」が米国で急増中、あるALS患者の例を追う
おだやかな最期に向けて
ジェリーさんは、亡くなる11カ月前にホスピスに移り、スーさんがキリリンさんに連絡した。キリリンさんは、月に1度か2度、毎回1時間を夫妻とともに過ごし、ジェリーさんの症状が悪化すると、さらに足繁く訪れるようになった。 最初に、死とはどのようなものかについて、また、ジェリーさんがどのように死を「我が物とできる」かについて、夫妻が話し合えるよう、キリリンさんは手助けした。キリリンさんは、ジェリーさんとだけ、スーさんとだけ会うこともあれば、夫妻と一緒に過ごすこともあった。ジェリーさんの衰弱が進むと、キリリンさんはジェリーさんと去り際に何を遺したいかについて話し合い、愛する人々に宛てた手紙を書く作業を手伝うなど、大切な人たちとのさまざまなイベントを支援した。 キリリンさんの助言を受けて、夫妻は葬儀の詳細な計画を立て、ジェリーさんは最期に大切な人たちに贈る身の回りの品を決めた。また、キリリンさんは、友人や親族に電子メールで連絡してジェリーさんと過ごした日々の思い出や写真を送ってもらうことを提案した。 「たくさんの温かい返信が届いたので、1冊の記録にまとめました」。ジェリーさんとの間に成人した3人の子と6人の孫がいるスーさんはこう振り返る。「私はその記録を夫に何度も読んで聞かせました。みんなの人生に夫が影響を及ぼしたことを知って、夫はとても慰められたのです」 2022年5月2日、ジェリーさんの呼吸は非常に困難になり、最後の夜を迎えた。ジェリーさんの部屋に19人が集まり、誰かが貴重なピノ・ノワールのワインを開けて、参加者全員で聖餐式とした。46年間連れ添ったスーさんによれば、ジェリーさんは米ワインエデュケーター協会の上級資格を持ち、食通であり、熱心なゴルファーであり、旅行好きで、信心深いキリスト教徒だった。 「夫は私のほうを向いて、『その時が来たようだ』と言いました」とスーさんは語る。ふたりはキスをして抱き合った。ジェリーさんの腕がスーさんを抱きしめられるように、家族が手伝った。そして、ジェリーさんはスーさんに「君を愛しているよ。今までずっと愛していたし、これからもずっと愛している。またすぐに会えるよ」と語りかけた。ジェリーさんはスーさんにウインクして目を閉じた。人工呼吸器のスイッチが切られ、ジェリーさんは旅立った。 その後、キリリンさんとホスピス看護師が残って、ジェリーさんを清め、正装に着替えさせ、葬儀場に送り出す準備を整えた。 「何もかも夫が望んでいた通りにしました。それが家族にとって大きな慰めになりました」とスーさんは話す。