【視点】自衛隊70年 住民に身近な存在に
自衛隊は1日、1954年の発足から70年を迎えた。八重山でも2016年に陸上自衛隊の与那国駐屯地、23年に石垣駐屯地が開設され、自衛隊員は住民に身近な存在となった。 尖閣諸島問題や台湾有事への備えだけでなく、災害対応の迅速化を考えても、八重山に自衛隊が常駐していることは心強い。駐屯地と地元自治体は今後ともスムーズな連携を心がけ、住民の安心安全を守る体制を強化してもらいたい。 県民は悲惨な沖縄戦を体験したため、復帰後も長く自衛隊に対する視線は厳しかった。復帰直後の自衛隊配備時には、自衛官の住民登録や成人式参加が拒否される事態も起きた。最近も八重山や宮古で一部の市民団体が自衛隊のハーリー参加に反対しているのは、そうした動きの名残である。 ただ、現在は自衛隊に対する県民の信頼感は飛躍的に向上している。沖縄を取り巻く国際情勢が急速に悪化し、抑止力の強化なくして平和は守れないとの認識が広がったことも、自衛隊への理解を後押しした。 沖縄本島でも米軍基地に対する抗議運動は盛んだが、自衛隊に対してはそういうことはない。うるま市での陸自訓練場建設が4月、断念に追い込まれたのは、近年ではむしろ特異な事例と言える。 与那国、石垣駐屯地も地域に溶け込む努力を重ねている。隊員は公私の両面で地域の伝統行事に参加し、マラソンなどのイベントでも運営協力を買って出ている。石垣市の緊急断水の際は災害派遣要請を受けて給水活動に当たるなど、存在感を示した。 だが最近、地元メディアでは、自衛隊と旧日本軍の継続性や同質性を強調する報道が相次いでいる。 陸自第15旅団のホームページに、沖縄戦時、旧日本軍を率いた牛島満司令官の辞世の句が掲載されていることが槍玉に上がった。陸自幹部候補生学校の内部資料で、沖縄戦時の旧日本軍が善戦したと記されていることも、住民視点が欠けると批判された。 陸自幹部が牛島司令官を祀る「黎明之塔」を参拝していたことも問題視され、報道の影響で参拝が中止されているようだ。 旧憲法下の日本軍と現憲法下の自衛隊が法制上、全く異なる組織であることは自明だ。その前提に立った上で、旧日本軍以来の歴史の積み重ねによって現在の自衛隊が存在していることも事実である。 指摘されている件に関し、自衛隊には全く問題ないと言わなくてはならない。県民としては、自衛隊を誹謗中傷するための報道にうんざりさせられる。 それより今、沖縄で自衛隊がどのような役割を果たしているかに目を向けたい。領土が安全であってこそ社会が機能し、住民は安心して生活を営める。自衛隊が領土を守る最後の砦である事実を、県民すべてが忘れるべきではない。