嵐で遭遇…フィリピンのバタン島に漂着後、現地で下僕となった男たちの物語など、文芸評論家おすすめの7作(レビュー)
西條奈加の『バタン島漂流記』(光文社)は、江戸時代の実在の海難事故をベースにした「漂流記」である。寛文八年、江戸から尾張に戻る五百石の弁才船「颯天丸」は、嵐に遭遇して大海原を漂流。乗員は十五人。その中に、主人公の和久郎がいた。船大工になろうとするも挫折し、「颯天丸」で働く幼馴染の門平に頼んで、同船の平水夫になって一年。やっと未来に光明が差してきたときの災難であった。 作者は漂流の様子を克明に描きながら、和久郎を始めとする男たちのキャラクターを読者に印象づける。そして「颯天丸」は、フィリピンのルソン島の北にあるバタン島に漂着。現地民との揉め事を経て、厳しい下男暮らしが始まる。日々を過ごすうちに、ふたりの仲間も失った。そんな中、和久郎たちは、故郷に帰るために動き出す。その帰郷の方法に、和久郎の設定を生かしているのは、ベテラン作家の腕であろう。和久郎たちが帰郷できたかどうか、ぜひとも本書を読んで、物語の結末を見届けてほしい。過酷な状況に立ち向かった男たちの姿と、たどりついた場所に胸打たれるのだ。 ついでに付け加えるが、十五人という人数からも分かるように、本書はジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』を意識している(もうひとつ意識している部分があるのだが、ややネタバレになるので、そちらに触れるのは控える)。十五人が漂着した無人島で、知恵と勇気を駆使してたくましく暮らしていく『十五少年漂流記』に比べ、本書の漂流には現実の苦さが常に纏わりついている。だが、それがいい。まさに大人のための「漂流記」なのだ。
松嶋智左の『使嗾犯 捜査一課女管理官』(ハルキ文庫)は、女性管理官・風石マリエ警視を主人公にした警察小説だ。人口およそ五千人のS県H郡辰泊町で、とんでもない事件が起きた。小学六年生の男子が、自分をいじめていた同級生を拳銃で撃ったのだ。いったいどうやって拳銃を手に入れたのか。撃たれた少年は軽傷だったが、マスコミが群がり、町は騒然となる。この事件の捜査を指揮するのが、管理官になったばかりのマリエである。癖の強い刑事たちや、いまひとつ頼りにならない上司に悩まされながら、地道に捜査を進めるマリエ。ちょっとした救いは同期の刑事が捜査に加わっていることだ。しかし事件を取材するファッション誌の女性記者から、同期の悪い噂を聞く。さらに中学三年の女子による、新たな発砲事件が発生。学校の副校長が死亡し、事件は混迷の度合いを深めていく。 本書の美点は、手数の多いことである。ショッキングな事件と、サスペンスの継続する展開で読者を引っ張り、一連の事件の裏に潜む、極悪な使嗾犯を暴き出す。これだけでも読みごたえ抜群なのだが、事件の構図が明らかになった後に騒動を設定。最後の最後までストーリーから目を離せない。男社会である警察でマリエが出世を目指す理由など、元女性警察官だった作者ならではの注目ポイントも幾つかある。是非ともシリーズ化してほしい作品だ。