『虎に翼』松山ケンイチ演じる桂場の変化を読み解く 実際の最高裁長官と何が違った?
『虎に翼』(NHK総合)が完結して早くも2週間。怒涛の6カ月を振り返ると、まるでジェットコースターに乗っているようで、メーターを振り切ったまま最後まで突っ走った感慨がある。朝ドラとして放送された『虎に翼』は、既存の連続テレビ小説の枠を超えて新たな視聴層を獲得した。それと同時に、議論されるべき論点を多数含んでいたように思う。フェミニズムの視点を含むジェンダーやエスニシティについてはすでに多くの場所で語られているため、ここでは触れないが、ドラマ終盤で興味深かったのが、最高裁判所長官となった松山ケンイチ演じる桂場等一郎の言動だった。 【写真】『虎に翼』松山ケンイチのあくびオフショット 松山ケンイチといえば、本作を一気見して1話ごとにSNSに感想を投稿するビンジウォッチが話題になった。わけあってリアルタイムで視聴しなかった松山が、演じ手として作中の人物にツッコミを入れたり、いち視聴者として感想を述べる様子は、一人の役者が何を考え、何を意識してカメラの前に立っているか、演者個人の視点を知る上で示唆に富んでいる。時折挿入される「中断します」「再開します」の臨場感と相まって極上のコメンタリーとなった。 リベラルな意見の持ち主によって固められた主要人物の中で、桂場は明らかに異質だった。その異質さは巌のような存在感で語ることができる。眉をしかめ、口をへの字に曲げ、容易にこちらになびかない難攻不落の岩。大の甘党という一事がなければ、人間的な柔らかさが絶無とさえ言える堅物ぶり。桂場の中には怒りがある。それは司法の独立を侵すものへの怒りで、その怒りが激情として発されることはまれだが、ひとたび奔出すると誰にも止めることはできない。 桂場にはモデルがいないとされるが、同時期に最高裁長官を務めた石田和外は、日本の司法の歩み、ことに憲法判例を語る上で欠くことのできない人物である。桂場の言動もかなりの部分、石田の事績をなぞっている。劇中で共亜事件として言及される帝人事件で、判決文の「あたかも水中に月影を掬いあげようとするかのごとし」の一文は、左陪審だった石田が起案したものだ。戦後、司法省の人事課長として、主人公・寅子(伊藤沙莉)のモデルになった三淵嘉子の裁判官登用を保留にしたのも史実どおりだ。 作中では、星航一(岡田将生)の息子で父と同じ裁判官の道に進んだ朋一(井上祐貴)が、突如「勉強会」への参加を理由に家庭裁判所への異動を命じられる。これは青年法律家協会に所属する裁判官と司法修習生に、裁判官任用や再任を拒否した「ブルーパージ」が下敷きになっている。このとき人事面で影響力を行使したのが石田で、ドラマでは緩和された形で描かれている。劇中で朋一の異動を知った寅子は桂場に詰め寄り、桂場の考えは「純度の低い正論」であると指摘するが、寅子と桂場の違いを鮮明にするシーンだった。