【石橋静河さん×稲垣吾郎さん×内田有紀さん】女性の貧困や女性蔑視、生殖医療、地方社会の生きづらさ…他人事ではない問題を語り合う
誰かをジャッジしたりカテゴライズすることが、その人自身を“生きづらく”している(石橋)
稲垣さんは元バレエダンサー役ですが、石橋さんも内田さんもバレエ経験者ということで何かお二人からアドバイスをもらうことはありましたか。 稲垣「僕もバレエの経験ありますからね(笑)。石橋さんは初めて3人のシーンを撮る時に“もうダンスのレッスンは始まっていますか?”と聞いてくれて。すごく気にしてくれてるんだなと思いました。覚えてます?」 石橋「もちろん覚えています。私はずっとバレエをやっていたので、基役を誰が演じるんだろうと思っていて稲垣さんだと知って、説得力がすごいと思って。第1回を見ると分かりますが、王子様みたいな私生活から王子様みたいなバレエダンサーが生まれるんです。これはすごく見たことがある!と思って」 稲垣「有紀ちゃんもバレエやってたんだけど、どう? 僕が忘れた時にアドバイスしてくれたよね? 有紀ちゃんはすごい姿勢が良いんですよね」 内田「第5回くらいを撮っていた時に、食卓のシーンで急に“姿勢良いよね”って褒めてくれて。“僕もやろうかな”って言ってくれましたよね」 石橋「5回でやっと(笑)」 稲垣「お芝居に集中したり感情的になると、つい姿勢が前のめりになったり、本来の自分が出ちゃったりするんですけど、有紀ちゃんは感情的になっても姿勢が良い。バレエをずっとやっているから姿勢が良いのかなと思いました」 この物語には、それぞれの“生きづらさ”が潜んでいます。リキや悠子は、性別や年齢、生まれた場所から決めつけられた社会的な役割やカテゴリーに悩みます。みなさんは実生活で“生きづらさ”を感じることはありますか。 石橋「日本はカテゴライズしがちだなと思います。10代の頃留学をしていたんですけど、帰ってきた時にそれを強く感じました。気にしないようにしたんですけど、やっぱりあるな、と思って。それは誰かをジャッジしたり、あなたはこういう人だとか、この人は悪い人だと決め付けることですが、実は誰かをジャッジしたりカテゴライズすることそのものが、その人自身を生きづらくしているんじゃないかと私は思うんです。今回の作品では誰も悪くないし、誰も正しくない。ある意味全員間違ってるとも言えますよね。違う視点で向き合わなきゃいけない作品だからこそ、考えるといいきっかけなのかなと思います」 稲垣「最近は年齢と共に窮屈なこととか生きづらさをうまく回避して、自分なりにストレスフリーで生きられるようになりました。昔はあったかもしれないけど、今はまるで基のように気ままに生きちゃってる部分はあります」 内田「私も稲垣くんと同じく、歳を重ねたことで生きづらさは無くなってきました。若い頃はとても乱暴で、周りへの気遣いや配慮をしてないときもあったし、今度は逆に人の目を気にしすぎて自分が小さくなっていったこともありました。いろいろなことにぶつかってきたことで、今生きづらさから解放されている気がします。傷ついたり苦しんだりすることがあったからこそ丸くなるというか。ぶつかって研磨されて丸くなる。だから生きづらさがなくなってきたのかなと思います」 稲垣「ある程度の鈍感力みたいなものも必要だよね。頂点に立てないことを知ったり、芸能界の荒波に揉まれたり。それによって人を傷つけてしまったことは確かにすごくあると思う」 内田「だから、だんだんまろやかになれたのかな」 石橋「そういう生きづらさ、苦しい状態って、絶対的に悪い状態じゃないと思います。何か解決しなきゃいけない問題があるから苦しいわけで、それを経てこられたお二人の言葉に、今苦しい人は勇気づけられるんじゃないかと思います」 『燕は戻ってこない』第1回放送分のマスコミ向け試写会後の記者会見の様子。とても和やかな雰囲気だったのが印象的でした。*