「歴史だけでは食べていけない」――老舗劇団が直面したコロナ危機
稽古場兼劇場であるアトリエは文学座の心臓部だ。ほとんどの作品がここで創造される。西川さんは冗談めかして「売却」というが、もちろん本心ではない。 「やっぱり、先輩たちが苦労してここまでにしてくれたわけですから。それを僕たちの代で終わらせたくないなって思っているんです」 文学座は1937年、岸田國士、久保田万太郎、岩田豊雄(獅子文六)の3人の作家によって創立された。日中戦争が始まった年で、中心となるはずだった俳優が召集されて戦死するという、波乱の船出だった。 太平洋戦争終結後は、海外戯曲や国内の劇作家との共同創作にも取り組んだ。1961年に開設した附属演劇研究所からは、北村和夫、太地喜和子ら多くの俳優や演出家が輩出している。
現在は演技部と演出部あわせて200人の座員がいる。事務方と研究生を加えると300人を超える大所帯だ。年3回の本公演と2回のアトリエ公演、そして全国30カ所以上をまわる旅公演(地方公演)が主な活動である。 コロナ禍が始まった昨年3月下旬、アトリエで上演中だった公演を、3ステージ残して中止にした。さらに、翌4月から6月までの2公演の中止も決定した。入るべきチケット収入が入らない――西川さんは「遠からず危機になることは見えていた」と振り返る。
コロナ禍で若手が抱えた不安
文学座はこの危機を、クラウドファンディングを立ち上げることで乗り切ろうとした。2021年2月に募集を開始すると、820人から2200万円を超える支援金を集めた。「公演の規模縮小による収入源の補填」「感染対策費用」「アトリエや稽古場の環境整備、換気対策」に使うとしている。 座員の柴田美波さん(27)はクラウドファンディングの提案者の一人だ。 「公演が2本中止になって、(世間に)忘れられてしまうんじゃないかと不安になりました。このままいくとうちの劇団は終わってしまうんじゃないかって」
柴田さんは2014年に文学座附属演劇研究所に入所した。約70人の本科生のうち、座員に昇格するのは5人ほど。柴田さんは2019年に座員になり、俳優としてこれからというときだった。1度目の緊急事態宣言が発出されていた2カ月間は、家からほとんど出ずにすごした。飲食店のバイトもなくなった。実家住まいのため困窮することはなかったが、「精神的に落ち込んだ」という。 「あの時期は、いろんな人が今だからこそできる方法で発信し続けていて、やっぱり知名度のある人の影響力はすごいと思ったし、どんどんいろいろな表現で発信する人たちのパワーみたいなものを感じていたんです。(文化芸術にかかわる人が)存在する意味はこういうところにあるのかなって。じゃあ私は今、俳優として何かできているんだろうかと。何もできないなら演劇をやめて新しい道を探すほうがいいんじゃないかと考えたこともありました」