「ナクバはいまも続いている」 パレスチナ人が土地を追われた「大惨事」の日から76年
1948年のイスラエル建国とともに大勢のパレスチナ人が家を追われた「ナクバ(大惨事)」の日から、15日で76年を迎えた。パレスチナの伝統的なスカーフ、ケフィアを着用し、パレスチナの旗を掲げた数千人のパレスチナ系住民らが、イスラエル領内やガザ地区で住民の帰還を求めるデモを行った。 ヨルダン川西岸地区のラマラで15日、人々がピースサインを掲げ、1分間の黙とうをささげた。パレスチナ人はガザでの戦闘が続く中、1948年のナクバの日から76年を迎えた。彼らが掲げる鍵は、イスラエル建国時の戦争で奪われた何十万人ものパレスチナ人の家を象徴している。 76年前に起こったナクバは、パレスチナ人にとって決定的な出来事であり、以来彼らの民族的アイデンティティを形成する1つの要因となってきた。 80歳のウンム・モハメッドさんは、幼い頃にナクバを生き延びた。ガザのほぼすべての住民同様、今回の戦争で自宅を失ったウンムさんは、イスラエルが近く侵攻することが懸念されている南部のラファでテント生活を送っている。 ナクバの生存者 ウンム・モハメッドさん 「これよりひどい惨事はない。私は80年近くここで暮らしているが、これほどの惨事は見たことがない。家がなくなり、子供たちがいなくなり、財産がなくなり、収入がなくなり、何も残されていない。私たちが涙を流せる何か残されているだろうか?」 ガザ保健省によれば、7カ月に及ぶイスラエルの軍事作戦の結果、ガザの大部分はがれきと化し、3万5000人以上が死亡した。多くのガザ市民は、これが第2のナクバとなり、ガザを追われることを恐れている。 ラマラでのデモ参加者 「ナクバは過去76年間、ずっと続いていた。それは新しいことではない。村々にはほかにも多くの惨事があり、そのもっとも新しいものがガザで起きているナクバだ」 1948年5月14日、当時パレスチナと呼ばれていた地域から英国軍が撤退したことを受けて、イスラエルが建国を宣言。翌15日、近隣のアラブ諸国が侵攻し、戦争の始まりとともにナクバが起こった。戦闘は数カ月にわたって続き、数千人の人命が奪われた。 イスラエルに残ったパレスチナ系住民の子孫たちは、親族の帰還を認めるよう求めているが、イスラエル政府はこれを拒否している。 イスラエル人の活動家ダヤ・ダンさんは、パレスチナ系住民とともに行進した。「パレスチナの兄弟姉妹と連帯し、奪われた土地に戻る権利を主張するためデモに参加した」 国連によれば、ヨルダン川西岸地区とガザ地区のほか、ヨルダン、レバノン、シリアなどで現在600万人近くのパレスチナ人が難民として登録されている。