中山美穂さん 葬儀で実母は慟哭…個人会社の資金管理巡る“溝”埋まらぬまま急逝
泣き崩れた実母を妹・忍が支えて――
またたく間にトップアイドルとなった中山さん。’95年には母親のために、東京・三鷹市内に3階建ての一軒家を建設する。母娘の強固な関係はこのまま永遠に揺るがないと思われたが……。 ’01年、中山さんは辻と出会い、交際8カ月で翌’02年に電撃婚。フランスに移住することを決める。’04年に長男を出産してから、母娘の溝は徐々に広がっていったようだ。音楽関係者はこう語る。 「母親は’00年、再婚相手の地元である秋田でイタリアンレストランを開きました。しかし経営は決して順調ではなかったようです。あるとき美穂さんは、個人会社の残金が少ないことに気づき、母親に不信感を覚えるようになりました。それを機に、母親に自らの資金管理を任せることを一切やめる決意をして、距離を置くようにしたといいます」 実母が代表取締役を務める個人会社は’12年に閉鎖され、中山さん本人が代表取締役を務める新会社に合併されることとなった。また、三鷹市内の自宅も売却され、秋田のレストランも別の人物が運営することとなった。 「中山さんの新会社の役員には、ほかに忍さんの名前があるだけで母親は名を連ねていません。会社閉鎖のころから、中山さんと母親の間には確執が続いていたようなのです。母娘関係が昔のように良好であれば、母親が今回、喪主を務める選択肢もあったはずですし……」(前出・音楽関係者) 葬儀では中山さんの母親の憔悴ぶりが際立っていたという。前出の参列者はこう語る。 「お母さんは葬儀の途中で泣き崩れることもあり、そのときは忍さんが支えていましたね……」 前出の知人は言う。 「中山さんは長男が成人を迎え、“自分のことを恨んでいるかもしれないけれど、もう一度会って話をして許してもらいたい”という思いを抱いていたようです。ひょっとしたら、お母さんも、中山さんと同様に“もう一度、向き合って話せたら”という切なる思いを長らく抱いていたのかもしれませんね」 中山さんが生前、撮影していたもう1本のドラマは香取慎吾(47)主演作『日本一の最低男 ※私の家族はニセモノだった』(フジテレビ系)だった。華やかな芸能生活の傍らで、“家族のあり方”に苦慮する人生だったのかもしれない。
「女性自身」2025年1月7日・1月14日合併号