「河堀口」「清児」「小橋町」全問正解なら大阪人!?
「石町」であった大久保利通VS.木戸孝允の10時間会談
大阪市中央区の「石町」は「こくまち」と読む。町名の由来は神社のご神体である巨石が鎮座していたからとの説があるが、古代に国府があったため、「国府」から「石町」になったとの見方が有力だ。近年、石町にほど近い八軒家浜の船着場が再建されたように、ご当地は古くから水運の中心地だった。 石町1丁目に大阪市の顕彰史跡「三橋楼跡」が建つ。幕末から明治中期にかけて、大川左岸の高台に料亭があり、難波橋、天神橋、天満橋の3つの名橋を一望できるところから三橋楼と名付けられ、人気を博していた。 維新による新政府樹立後も混乱が続く1875年(明治8)1月。当時政権運営をめぐって対立していた大久保利通と木戸孝允による会談が、三橋楼で開かれた。10時間におよぶ協議は合意に至らなかったものの、翌2月に近くの料亭で開かれた大阪会議で、新しい国家ビジョンがまとまった。三橋楼の大久保・木戸会談は、大阪会議を成功へ導く重要な意見交換の場だったと評価されている。 京と大坂は淀川の三十石船で直結していた。幕末維新期、三十石船の発着場である八軒家浜、石町かいわいには、国事に奔走する志士たちが集まった。 今月から維新の青春群像を描くNHK大河ドラマ「花燃ゆ」が始まったばかり。登場人物や同志の多くも、石町かいわいを歩いたことだろう。地名のなぞを解きながら、歴史を追体験するのもいい。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)