告げられた「いらない」 半年でボーイズ退団→野球部からは入部拒否…広島名手の挫折
小3から軟式野球チームでプレー、小6で鯖江ボーイズ入りも…
元広島外野手の天谷宗一郎氏(野球評論家)にとって野球人生、最初の大きな目標は「福井商で野球をして甲子園に行くこと」だった。1995年、鯖江市立鳥羽小6年の時から「そればかり考えていた」という。2000年夏、2001年春夏と福井商で甲子園に3度出場して見事に夢はかなうが、それは挫折を乗り越えてのことでもあった。「福井商に入るための近道と思って鯖江ボーイズに入ったんですが、硬式(球)があまりにも痛すぎて……」など苦笑しながら振り返った。 【画像】2人で寄り添い笑顔…広島コーチの美人妻が「可愛すぎる」 天谷氏は小3から鳥羽小スポーツ少年団の軟式野球チームに入った。「最初だけファーストで、あとはずっと外野手。ピッチャーはやらせてもらえなかったです」。父・鉄雄さんとの約束で素振り100回を毎日続け、野手として力もつけていった。「小6の時、福井県で優勝して全国大会でベスト8。打順は1番か3番だったかな。守備はだいたいレフト。調子に乗っていたんで、レフトゴロにしようとよく狙ってやっていましたね」。 小6時には「福井商で野球をやる」を大目標に掲げていた。「祖父が亡くなったんですけど、母親に『おじいちゃんが福井商の野球部に入って甲子園に行ってほしいって言っていたよ』と聞かされて……。福井商は祖父の母校だったそうです。野球部ではなかったらしいんですけど、甲子園で応援するのが夢だったって……。それからは何よりもまず、福井商で野球をする、ってことしか考えていませんでした」。祖父・幹男さんの願いが天谷氏を突き動かした。 「中学生になる前に鯖江ボーイズに入りました。福井商に行く一番の近道は野球でスカウトされること。そこで主力みたいになれば、おのずと声がかかると思ってね」。だが、ことは思い通りに進まなかった。「小6の冬に入ったんですけど、まず硬式があまりにも痛すぎて……。寒い中、打ったら手が痛くてね。試合に出してもらってセンター前に打ったんですけど、詰まり上げて、ピーンって肩からしびれて、もう無理と思って、そこでやめるって決めました」。