「セクシー田中さん」問題、日テレ・小学館の「調査報告書」に釈然としない理由
つまり、「認識の齟齬やミスコミュニケーションはテレビ局と出版社によるものであって、原作者や脚本家に非はないどころか、防ぐことが難しいもの」ということ。 そもそも、出版社やテレビ局は原作者や脚本家にとって重要な取引先であるだけに、「スタッフの意向に沿ったほうがいいだろう」「これを言ったらわがままとみなされるのではないか」などと思っている人が少なくありません。最終的な引き金となったSNSへの書き込みも、そんな我慢を重ねた結果の行動に見えますし、各過程で認識確認しておくことがもっと必要だったのでしょう。
■契約書の締結とSNSの危機管理 一方、小学館の「第4 考察」には、検討すべき問題点として「1 小学館と日本テレビの契約関係」「2 芦原氏が日本テレビに対して脚本家の交代を求めたこと等について」「3 原作者の思いと脚本家との乖離について」「4 危機管理体制」「5 識者見解、世評について」が挙げられていました。 「1」の契約関係については、これも昭和時代から続く悪しき商習慣。ドラマ化は大企業同士のビッグプロジェクトであり、著作物を扱っているにもかかわらず、日本テレビは放送前に原作者や脚本家と契約書を締結していませんでした。しかもそんな不確かな関係性のうえで、内容の改変に対する難しいやり取りを重ねていたわけですから、まさに綱渡りの制作であり、「まさかの放送中断や打ち切り」もありえたのではないでしょうか。
ちなみに筆者自身もテレビ局と出版社と長年仕事をしてきましたが、出演・執筆ともに契約書を交わした記憶はほとんどありません。契約書を交わすのは、テレビ局はNHKのみ、出版社は書籍の時のみという印象で、請求書すら発行しないというケースが多くを占めています。 筆者のような個人事業主は、よくわからずに従う形で取り引きを続けている。あるいは、多少の疑問程度なら「業界の商慣習だから」「担当者も忙しいから」と受け流す人が少なくないのです。事務手続きについては、今回のような「問題が発生してから変える」という後手の対応になりがちで、悪い意味での“クリエイティブ・ファースト”という感覚が残っているのでしょう。