武豊によって「30年越し」に明かされる過去…三冠制覇の怪物「ナリタブライアン」を育てた大久保正陽との「意外な秘話」
かつて「怪物」と呼ばれ、一世を風靡した競走馬がいた。クラシック三冠を達成した「ナリタブライアン」。三冠達成から一転、挫折を経験。最強との呼び声高いナリタブライアンはなぜ王座から転落してしまったのか。 美ボディ・コスプレも話題に。TWICEサナが韓国で人気が高い理由 2024年はナリタブライアンの三冠達成から30年目に当たる。そんな節目の今、4人の伝説のジョッキーに取材した『史上最強の三冠馬ナリタブライアン』(鈴木学著/ワニブックス刊)から、その短くも濃密で波乱万丈な馬生を浮き彫りにする。 『史上最強の三冠馬ナリタブライアン』連載第2回 『武豊が告白する”93年朝日杯”の「衝撃の真実」…「シャドーロールの怪物」と呼ばれた三冠馬の伝説はここから始まった!』から続く
隣に住んでいた:interrobang:
武豊から見た大久保正陽とは、どのような人だったのだろう。 「実は子供の時からよく知っていて。隣だったんですよ」 「え?」と思わず声が出てしまった。 「家っていうか、(大久保)厩舎が『イの1』だったでしょ。僕、『ロの1』に住んでいたから。(弟の元騎手で現調教師の)幸四郎はまだ(生まれて)いなかったから男の3人兄弟。大久保先生のところは子供が5人兄弟で、すごく仲良くて、本当に一緒に遊んだり、学校行ったりして。すごく近い存在の方だったんですよ」 これも初耳だった。もしかすると、以前に聞いたり、インタビューや対談記事で語っているのを読んだりしたのをすっかり忘れていたのもしれないが……。
生まれながらの騎手
大久保厩舎の道を挟んで向かいの「ロの1」は武田厩舎だった。10歳くらいまで家族とそこに住んでいた。理由は名ジョッキーとして「ターフの魔術師」と呼ばれていた父、武邦彦さんが武田作十郎厩舎に所属していたからだという。 「武田先生は京都に住んでいて、(厩舎の居住スペースが)空いているから、うちの親父が住んでいたんでしょうね。朝ね、ランドセル背負って、調教でみんな運動しているところを歩いて小学校へ通っていたんです」 ランドセルを背負った武豊少年が武田作十郎厩舎から出てくる。示し合わせたように大久保正陽厩舎から同じくらいの年齢の息子たちが出てくる。厩舎回りの運動や、コースへ向かう人馬に交じって小学校へ行く彼らの姿を想像してみた。「騎手・武豊」の原点を垣間見るようだった。彼は根っからの厩舎で生まれ育った厩舎人であり競馬人なのだ。「ニンジンは馬の食べ物だと思っていたから嫌い」と話していたのも、これで合点がいった。 「大久保先生には本当に可愛がってもらったし、だから騎手になってデビューした時も、ずっと応援してもらっていたし、いろいろ教えてもらいましたね。競馬には厳しい先生だったけど……そんなに甘くはなかったです。返し馬の指示とか結構あったし。レースも結構(数を)使いますからね。でも『大丈夫だ』って。結果も出ていたし。なんていうのかな、やっぱり自分の考えとかをしっかり持たれている人やなって思いましたね。本当に自分のポリシーみたいなものをすごく持っている方でした。いろいろ勉強になりましたね」 そういう人だからこそ、ナリタブライアンに1200メートルのレースを使うという選択肢も出てきたのだろうか。 「そうですね。本当に周りにわれないっていうか、自分の感じでいく人やったから」 その頑固さゆえに、マスコミとは軋轢も生じたのだろう。