64年東京五輪・コンパニオン秘話 皇太子夫妻にサインをねだる姿にIOC委員長は困惑…「当時の日本人は未来に惚れていた」
コンパニオンたちの“観戦”記
コンパニオンが競技を見ることができるのは、担当の委員に同行する時だけである。その場合、競技会場の貴賓室で見ることは原則禁じられていた。 「コンパニオンは、競技場の控え室にあるテレビモニターで観戦することになっていました。家族が来ていないIOC委員が、競技会場で担当のコンパニオンを自分の横に座らせようとなさるんですが、決まりを守らないコンパニオンをつまみ出していました」(原田さん) そんな状態だから、競技を楽しめるような状況ではない。だがロシア人とのハーフでロシア語の堪能な先の加川さんは、ソ連の委員が英語を話せないことから、そばにいて一緒に試合を見てくれと頼まれることがしばしばあった。 「私が担当したソ連とボーランドはボクシングが強く、試合を嫌というほど見せられました。ボクシングを見るのは初めてで、パンチが体にめり込んだときの音には驚きました。最前列で見たので、とくにヘビー級は凄かった。ソ連のエメリヤノフがアメリカのフレージャーと戦った準決勝を見た時は、私の骨が砕けるのではないかと思ったほど。早く終わってほしかったですね。日本人ではバンタム級の桜井孝雄さんが金メダルを取りましたが、ソ連やポーランドの選手が決勝に残れなかったので見られませんでした」
美智子妃殿下に駆け寄ったIOC会長
一方、日本とソ連が競い合った男子体操や女子バレーボールは見た。男子体操は団体総合でローマ大会に続きソ連を下し金メダルに輝いている。加川さんは金メダルよりも、体操の選手のすらっとした姿勢に見とれていた。「当時のふつうの日本人は、言葉は悪いけれどもずんぐり体型だったからよけいに」と思い出す。 女子バレーボールの決勝戦では、会場の異様なムードに影響され、我を忘れて「東洋の魔女」を応援したのだという。 「私が日本を応援していると、ソ連のIOC委員が聞くんですよ。『どうして君はソ連を応援しないんだ? お父さんは日本人でも、お母さんはロシア人だろ』と。私は正直に答えたんです。『母は白系ロシア人。ロシア革命で追い出されたから』と。するとあっさり、『ああそうか』と理解してくれました」 原田さんによれば、この試合の終盤に会場入りしたブランデージ会長は、日本の優勝が決まると即座に美智子妃殿下のもとに駆け寄り、「優勝、おめでとうございます」と声をかけていたという。