ヨシタケシンスケが「今までで一番発言の責任が薄い」と語る絵本。「かもしれない」という責任転嫁に込めた思いを語るインタビュー
●自分の存在が世界の何かに影響を与えている
――本の中には、自分がしたことによって遠くの誰かに何かしらの影響がある、といったお話もありますね。 ヨシタケ:「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいなバタフライエフェクトのお話を描きたくて。道端でゴミを1個拾ったら全然違う人が助かったり、逆に、むしゃくしゃして蹴飛ばした小石が大事故につながったりとか。世の中にはいろんな因果関係があるはずで、自分の発言や行動、生きていること自体が世界の何かしらに影響を与えているということが、なんとなくイメージできるといいなと。言ってみれば、“創作・因果関係”ですね。自分のしたことで自分が得するばっかりだと、つまんないというか、ケチくさい気もして。 ――そういう意味では、各ページに描かれたチェーンのような枠の絵が、因果関係をあらわす数珠のようなものにも見えました。 ヨシタケ:数珠とかビーズのようなものをイメージしています。本の最後のほうに「あせる気持ちも罪悪感も、交互に並べて糸を通せば、そこそこきれいな あなただけのアクセサリーになるそうです」という話があるんですが、小さなわだかまりや心配事って、1個1個はトゲトゲしているけれど、それを集めてつなげたら、自分を飾るものになるかもしれない。なかったことにはできないんだけれども。 ――それが自分から生まれた感情であることに違いはないですし。 ヨシタケ:「禍福は糾える縄の如し」と言いますけれども、いいことも悪いことも交互にやってくるから、どれがいいことで悪いことなのかすぐにはわからなくて、時間が経ってから「あれは自分にとって必要なことだったんだ」とわかったりする。人はそこに「運命」っていう名前をつけたりして、自分の都合のいいように解釈しますよね。その都合の良さみたいなことも面白がれないかなと。
●自分自身の実体験は他の人に語らせるのがマイルール
――ヨシタケさんの絵には老若男女いろいろな人が登場しますが、特に面白がって描くような人はいますか? ヨシタケ:そんなに書き分けができないんですけど、単純に自分が中高年の男性なので、おじさんを描くのは好きですし、年齢や立場に関わらず、何かにつまずいている人を描くのは楽しい作業ですね。自分自身が小さなことを気にしがちで、そんな自分がどう言われたら嬉しいかなって考えながら本を描いているので、その人たちを描くことで自分自身が救われているのはあります。 ――だから楽しい作業なんですね。 ヨシタケ:そうですね。スケッチもそうですけど、個人的な意見や体験ほど、自分じゃない人に語らせるっていうルールも決めています。あえて性別と年齢を変えて描いてみるとか。悪口言っているって誰かに思われちゃうと困るし、それはきっと誰にでも起こりうることなので。人間いくつになっても悩みは減らんわな…って、本を通じて傷を舐め合いたい気持ちはありますね。 ――今の世の中、もう少しこうなるといいな、という想いはありますか? ヨシタケ:世の中がその方向に動くときってそれなりの理由があって、それで生き生きする人もいれば、つらくなる人もいる。一人一人バラバラの価値観のなかで、なんとなくわかり合えているのはすごいことだと思います。ただ、お互いの「至らなさ」を許せる余裕があったほうが、暮らしやすい社会になるはずで。 できないことをできないって、助けを求められたほうがいいだろうし、そこに手を差し伸べられるような豊かさがあるに越したことはないんだけども、それがなかなか簡単じゃないから、「できたらいいのにね」ってせめて苦笑いできるような世の中だったらいいな、なんて思います。 性善説よりは性悪説で、人間放っておくと悪くなるもの。それでもどうにか頑張っているんだから上出来なんじゃないのって。それくらいに思っていたほうが、悪いことが起きても「しょうがない」「そういうこともあるよね」と思えるというか。 周りを受け入れる余裕があれば、新しいものを提案する余裕も生まれてくるはずで、何かを攻撃するパワーみたいなものを、それを改善する提案に変えていけたらいいですね。その余裕を生むためにも、嘘かホントかわからない噂話でニヤニヤするのもいいんじゃないでしょうか。 ――本を読んだ人が、自分で思いついたおまじないでニヤニヤしながら、心に余裕を持てるようになるといいですね。 ヨシタケ:小さい頃にやっていたおまじないが意外と効果あったんだよ、みたいなね。そういう不確かだけど面白い噂話を共有できたら、ちょっといいですよね。 取材・文=吉田あき、撮影=金澤正平