ヨシタケシンスケが「今までで一番発言の責任が薄い」と語る絵本。「かもしれない」という責任転嫁に込めた思いを語るインタビュー
●「おまじない」を自分で考える手掛かりになれば
――こういうおまじないが昔あったかも…と感じるような身近なお話がいくつもありました。たとえば、「くだものをおでこにのせると 大事なことが見つかりやすくなるそうです」とか。 ヨシタケ:昭和くらいからずっと言われていた、みたいな感じを考えていったんですが、嘘っぽさと本当っぽさの真ん中みたいなところが意外と難しいなと。いざ描き始めると、数が出なくて困りましたね。それでもいっぱい考えて、いいものを残しました。 面白かったのは、絵をつけるのが難しかったこと。本来おまじないって言葉だけで出回るものなので、そこに絵をつけるとシチュエーションが限定されて、その言葉が持つ懐の深さみたいなものが削ぎ落とされてしまう。テキストは気に入っていたけど絵をつけるのが難しくてボツになったお話もあったし、文章だけの場合と絵をつけた場合でまったく印象が変わるのが、描いていても面白かったですね。
――エピソードの選び方によってはリアルになりすぎてしまいそうですね。嘘っぽいけど、どこかで実際にあるような気もする、ちょっとしたズレが面白いというか。 ヨシタケ:そうそう。だからテキストと絵は合致しないほうが良くて、どうにでも受け取れて、読んだ人が自分の生活に取り入れられそうなお話を残しました。ゴミ箱にゴミを投げて一発で入ったら今日の打ち合わせはうまくいく…みたいな一種のげんかつぎって、みんなそれぞれ持っているじゃないですか。「結局は気の持ちようでしかない」ことを表現した本でもあるので、「おまじないって自分で作ってしまってもいいんだな」という気持ちになってくれたら嬉しいなと。 ――たしかに、自分でも気づかないうちにやっているジンクスって、誰しもあるような気がします。「ながもち」の話にしても、げんかつぎのようなお話で。 ヨシタケ:高齢者の方で「私はもうお先が短いから」という人ほど長生きすることがあるじゃないですか。仲のいい友だちと卒業で離れ離れになり、会えなくなると思っていたら意外と長く付き合っている、とかね。何でも低めに設定しておくと思ったよりうまくいく、みたいな考え方で自分を守れたらいいなと思います。 ――個人的には、「自分を許してあげられなくても あなたの小さな神サマは許してくれるそうです」というお話が好きで。 ヨシタケ:ありがとうございます。 ――「悪いことをしたら神様が見ている」みたいなことをよく言われますが、絵本のこの神様はぐうたらしているし、自分を甘やかしてくれそうだなと(笑)。自分に対する罪悪感を神様が許してくれたなら、悩んだ甲斐がありそうです。 ヨシタケ:うんうん。「いいんじゃない?」って自分を肯定してくれるためだけの小さな神様がいてもいいのかなと。もう、勝手に考えていますけどね(笑)。自分を許してあげられないシーンってたくさんあって、でも慰めてくれる誰かが近くにいないことも多い。そういう時に、ちっちゃな神様が自分の代わりに自分を許してくれて、気が楽になったらいいなと思って。生きていくことのままならなさを、騙し騙し、やんわり肯定していくことも、このシリーズのテーマの一つです。