西武は「赤プリ跡地」をなぜ売らなければならなかったのか 岐路に立つ「鉄道会社のビジネスモデル」
「赤プリ」が抱えていた“隠れた弱点”とは?
東京ガーデンテラス紀尾井町の敷地には、東日本大震災が起きた2011年に閉鎖するまで西武グループの「グランドプリンスホテル赤坂」がありました。 1955年に「赤坂プリンスホテル」として営業を開始。建築家の故丹下健三氏が手がけた39階建ての新館が1982年完成すると、翼を広げたような斬新な外観が脚光を浴びます。バブル期には若者らの憧れの宿泊先となりました。 ところが、西武グループはホテルの名声に安住せず、取り壊して再開発することを決めました。背景には経営体制の大幅な変更と、西武HD首脳が明かした赤プリの「隠れた弱点」がありました。 西武グループは2004年に総会屋への利益供与と有価証券報告書の虚偽記載が相次いで発覚し、元オーナーの堤 義明氏らが逮捕、有罪判決を受ける大スキャンダルに発展しました。 立て直しのために主要取引銀行のみずほフィナンシャルが送り込んだ元みずほ銀行副頭取の後藤高志氏(現西武HD会長)ら金融出身者が目を付けたのが、西武グループが抱える潤沢な不動産でした。中でも東京都心部の一等地にある赤プリを大型複合施設に建て替えれば、付加価値が高まると判断しました。 筆者(大塚圭一郎・共同通信社経済部次長)は別の要因として、後藤氏から「赤プリの新館は天井が低いので評判が悪いんだよね」と聞いていました。確かに新館の客室の天井高が2.4m、廊下は2.1mと、背の高い外国人ならば頭がぶつかりそうになる高さでした。訪日外国人旅行者の急拡大を見越した賢明な経営判断だったと言えます。
「聖域なき流動化」推し進めるワケ
それでは、西武HDはなぜ東京ガーデンテラス紀尾井町を流動化し、不動産の「回転型」に乗り出したのでしょうか。 現在の西武HDの社内取締役8人のうち5人を金融出身者が占めているように、同社は不動産保有という鉄道会社の伝統に縛られない経営体制になっています。そんな中で、新型コロナウイルス禍の打撃を受けて2021年3月期は723億円の純損失に陥ったのを教訓に、同社は「急激かつ甚大な経済環境変動に対する耐性を備え、新たな成長のストーリーを描く」ために戦略を転換したと説明します。 加えて「物言う株主」とされるシンガポールの投資ファンド、3Dインベストメント・パートナーズが2024年5月に西武HDの5%超を保有する大株主になったことが表面化し、支持を得るには株価上昇につながる株主還元策を迫られた事情もありそうです。 西武HDは今回の流動化発表とともに、その売却益を元手として配当金を増やすなどの株主還元策を公表。品川駅前の「品川プリンスホテル」の改装などにも約500億円を投資します。今後も「聖域なき流動化を実施する」と表明し、得られた資金で都心部の高輪・品川・芝公園などで再開発を進める方針です。 JR東日本も不動産事業の「回転型ビジネスモデル」を標榜し、新宿駅近くの高層複合ビル「JR 南新宿ビル」を不動産ファンドへ売却しました。岐路に立つ鉄道業界はこのような参考事例を踏まえ、伝統的な不動産保有から脱却して「回転型」を模索する動きが加速するかもしれません。
大塚圭一郎(共同通信社経済部次長・鉄旅オブザイヤー審査員)