「年収500万?」コンサルの俗化が進む困った事情 「安かろう悪かろう」が蔓延し、レベルの低下も
■学者と職人と芸術家の能力が必要 一方、それだけの期待をになって雇われるコンサルタントは、企業経営に関するあらゆる理論と実践に精通し、会社のさまざまな問題に対して解決策を提示できなければならない。そのためには、まず膨大な知識と情報、そして経験値が必要になる。 それだけではない。その企業にとって何が一番の問題であり課題なのか? まだ誰も意識化できていないところに光を当てる力が求められる。それには知識や情報だけでなく、ある種のクリエイティビティが不可欠な要素となる。
つまりコンサルタントは学者のような知識と情報を持ち、さらに職人のような現場感覚とそれに基づく経験値を持ち、その上で芸術家のようなクリエイティビティが要求される仕事なのだ。 そういう力を身につけるには、大変な勉強と努力と、そして持って生まれた才能が必要だ。1人の優れた戦略系コンサルタントが誕生するためには、お金も時間も労力も、大変なコストがかかっているわけだ。 そんなコンサルタントの年収がわずか数百万ではおかしいし、彼らによるコンサルティングが数千万円に満たないはずがない。もしそんなコンサルがいたら、それはまがい物のコンサルだということだ。
残念ながら、コンサル全盛の時代という言葉とは裏腹に、安かろう、悪かろうのコンサルタントもまたあふれている時代だと思う。 その1つの現れが、コンサルタントの数の多さだ。 私がBCGの日本支社にいた頃は、社員は多いときで50人。いわゆる少数精鋭だった。ところがこの前聞いてびっくりしたのだが、いまや1000人を超えているそうだ。残念ながら、コンサルタントの質はそのぶん落ちているといわざるをえない。 昔はよかったというような話はしたくない。けれど、私たちの若い頃はそれこそハーバードのような一流の大学でも、とくに優秀な成績の人間を採用して猛特訓する。もともと頭はいいし、一生懸命勉強する人たちだ。毎日深夜まで仕事をして、出てこなくていいのに、土日も出勤して仕事をし、研鑽を積む。