「僕らが育てられている」阿部一二三・詩兄妹の強さを支えた家族の絆と心のアプローチ
来年のパリ五輪で、2大会連続の兄妹金メダルが期待される、男子66キロ級の阿部一二三と女子52キロ級の阿部詩。柔道界を牽引する存在となった2人は、小・中学校時代のハードなトレーニングによって勝負強さの土台を築き、国内外で頭角を現していった。父・浩二さんと母・愛さんは、2人が逆境にぶつかった時、どのように寄り添ってきたのだろうか。五輪史上初の兄妹同日金メダルという快挙を支えた、コロナ禍の貴重なエピソードも語ってもらった。 (インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真=西村尚己/アフロスポーツ)
ハードな練習を乗り切った小・中学生時代
――小中学校時代は、一二三選手も詩選手も共に、夙川学院高校柔道部の松本純一郎監督の指導を受けています。それは一つの転機になったのでしょうか? 浩二:松本先生はすごく情熱的な先生で、ある意味、ぶっ飛んでいましたから(笑)。ただ、トップを目指すためには綺麗なことばかりではなく、それぐらいでないと難しいですよね。世間的には、ずっと勝っているような華々しいイメージがあるかもしれませんが、当時は地獄やったと思います。僕らも地獄でしたけどね(笑)。 ――当時、一日何時間くらい柔道のトレーニングをされていたんですか? 愛:毎日5、6時間はやっていましたね。休日は朝7時とか8時ぐらいから練習が始まって、お昼になっても終わらなくて、遅い時は午後3時ぐらいまでやっていました。 浩二:休日はだいたい9時に始まって12時に終わるはずなんですよ。だから僕らも練習を見ながら待っていたんですが、何時までやるんだろう?という感じで、途中でおにぎりを食べさせたりしていました。 愛:だんだん慣れてきたんですけどね。やっと練習が終わったと思ったら「走るぞ」って言われて、走りこみの練習をすることもありました。行く前の車の中では2人とも無口で、終わった後は、解放感からか楽しそうにたくさん喋ってくれましたね(笑)。家に帰ったら柔道の話はしないで、スイッチがオフになるようにしていました。 ――オフがあるからこそ、オンの瞬間も頑張れたのかもしれませんね。 浩二:土日は練習の後にみんなでファミレスに行ったり。ささやかな喜びですけど、「今日の練習は大変やったな」とか話して、リセットしていたんだと思います。 ――一二三選手は中学時代、詩選手は高校時代に全国大会で頭角を現し、世界へと羽ばたいていきました。学業との両立はどうされていたのですか? 浩二:私は「勉強をしろ」って一回も言ったことがないと思います。本当は「学業も大事だぞ」と言わなあかんところだと思いますけど。 愛:ただ、あまりにも勉強をしなかったので、小学校低学年の時に、「ちょっとぐらい出来ないと」と思って、長男と一二三を塾の夏休みの集中教室に通わせたことがあったんです。でも、続かなかったですね(苦笑)。 ――エネルギーを柔道に注ぎ込んでいたのですね。その後、一二三選手と詩選手は日本体育大学に進学し、所属先も含めて同じ道を歩んでいますが、やはり仲が良いのですか? 浩二:仲はいいと思いますが、お互いにまったく干渉しないですね。性格も違うので、柔道で求めることや、そこに行くためのやり方も、感じることも違っていました。小さい頃から一二三は一二三の世界、詩には詩の世界があったので、同じように考えたことはないです。 ただ、年齢を重ねて柔道がある程度形になってきた中で、同じ大学に進学して、就職先は2人とも、パーク24株式会社にお世話になっています。もっと上の世界を目指すために、2人が同じ環境で思い切り競技をやれることは理想的だと思います。