「今晩 泊めてください」なぜ見ず知らずの男を泊めるのか?家主が抱える“孤独”の正体 #令和の路上物語 #ザ・ノンフィクション #ydocs
何度も泊めてくれる「人恋しい」80代女性
街頭に立ち続けても、家主さんが見つからない夜もある。そんな日は、以前泊めてくれた家主さんを訪ねる。 取材期間中に石田さんが頼ったのは、一人暮らしをしているひろこさん(当時81)だった。石田さんを泊めるのは4度目。半年ぶりの再会だ。 夕食は、手作りの煮物や焼き魚。「たまたま家にあるの」と言いながら、いつ来るとも分からない石田さんのために買っておいたビールまで出してくれた。 ひろこさんは、夫とともにクリーニングの下請け工場を切り盛りしながら、2人の子供を育て上げた。しかし夫は28年前に白血病で他界。現在はパート勤めをしているが、体力の衰えを感じてシフトを週1回に減らし、家で過ごすことが増えたという。 2人は気の置けない間柄のようで、「いつでも来ていいおうちっていう認識でいます」という石田さんのちょっと図々しい冗談にも、ひろこさんは「一人でいるんだもん、歓迎するよ」と微笑んでいた。 そんなひろこさんの孤独が垣間見えたのは、石田さんがシャワーを浴びているときだった。 ひろこさんは私に亡き夫の写真を見せながら「私も一人で暮らしてるから、人恋しいところもあるんでしょうね」とつぶやいた。寂しさを募らせる日々の中、突然やってきて「ご飯を『おいしい』って言ってくれる」石田さんのことを、いつも待ち遠しく思っているのだろう。
「他人の善意にすがっている」?
石田さんと家主さんたちとの不思議な関係が「ザ・ノンフィクション」で放送された後、ネットニュースには、「労働しないで他人の善意にすがっている」「こんな人が増えたら世の中も困る」などと批判の声も寄せられた。 確かに石田さんはタダで泊めてもらっているのに「一宿一飯の恩義」のようなお礼をすることもない。「家主さんに何かしてあげたいと思わないんですか?」と聞いてみると、「思わないですね」と即答されてしまった。清々しいほどドライだ。 「僕は泊まりたいんです。家主さんは泊めたいんでしょ?対等じゃないですか。めちゃくちゃ傲慢なんですけど、僕、自分が楽しければいいので」 温かくもてなしてくれる人たちに失礼な気もするが、このスタンスは意外にも、家主さんたちに好意的に受け取られている。 私が取材した20代の女性家主さんは、石田さんの存在を「コスパいい」と表現した。明るい髪色で派手なメイクとネイルが似合う彼女は、「寂しさとかつらさでどうしようもなくなって、一人で越えられそうにない夜」に石田さんを泊めたと振り返る。 「越えられそうにない夜は、たくさんお金使っちゃったりとか、吐くまで飲んじゃったりとか、何の生産性もないことが多い。でも、(石田さんが)一緒にいたとき、越えてくれたわけじゃん。うちを貸しただけなのに。だから『マジコスパいい』って思って」と、ただ泊まるだけの石田さんの存在を歓迎し、路上に立つことができない雨の夜、再び石田さんを泊めていた。 だが石田さんには、家主さんの孤独に寄り添ってあげたいという思いは一切ない。彼らの前でもその気持ちを隠さない。 石田さんが何度も泊めてもらっている30代の男性家主さんを再訪した夜のこと。 「人間関係の悩みを4時間以上しゃべったことがある」という男性は、「俺から『飲みに行こう』って誘うことはあるけど、人からは誘われない。俺、途中で説教っぽくなるからな」と、この日も人付き合いの難しさを語り続けた。 石田さんはそんな彼の目の前で「僕は『コンテンツ』だと思ってるんで。非常に楽しく聞いてますけどね」と発言したのだ。それは言い過ぎではないかと心配したが、家主さんは「こういう正直な所がいい。こっちも気を使わずにいられる」と、むしろうれしそうだった。 人の家に泊まって話を聞きたい石田さんと、孤独な夜に誰かと話したい家主さん。その関係をいくつも取材していくうち、石田さんが図らずも心の隙間を埋める存在になっているのは、そのドライさが「ちょうどいい」からなのだと感じた。