やっぱり専業主婦じゃなくて働きたい! 時給962円の週1パート→司会業でキャリアを模索。そして経営者へ!
実父が痴呆に…。ボロボロな小屋からはじまった父のビルで「おまえはここでビジネスをしなさい」
やっと自分を取り戻し、フリーアナウンサー、研修講師として順風満帆な日々を送っていた2年前の冬に、藤川さんのお父さまに変化が起こりました。 「父は会社を経営していたのですが、会社の従業員の方から父の様子がおかしいと連絡がありました。慌てて実家に帰って、父に今日はどうしてたの?と聞いたら、『会社に行ってた』っていうんですよ。その時、父はパジャマを着て髭ボーボー。こんな姿で仕事ができるはずがない。これはおかしいと病院に連れて行ったら、中期の認知障害と診断されました」 会社経営を続けるのは難しく、お父様の会社は精算することになりました。その事務所があったのが、現在「エアー・ビジネス・ディパーチャー」がある自社ビルのワンフロア。当然ビルも売却の方向で話が進んでいたのですが…。 「不動産会社への書類を作るために、何度もこのビルに通ったのですが、そのうちだんだんと愛着が生まれてきて…。そしてある日、ふと気づいたんです。父は今88歳ってことは、このビルを建てたのは53歳。あれ、今の私とほぼ同じ歳じゃない?って」 お父様は定時制高校に通いながら仕事を始め、30歳の時に起業された、かなりの苦労人なのだそう。 「もともと、ここはトタン屋根のボロボロの建物だったんです。でも父はいつか絶対に自社ビルにするんだってすごく頑張っていて。その夢が叶ったのが、今の私とほぼ同じ年齢なんですよ。50歳を過ぎて、おそらく多額の借金をして念願のビルに建て替えた父。毎日どんな思いでここにやってきて、仕事をしていたのだろうと思いを馳せているうちに、売れなくなっちゃって…。父の大切なビルへの思いをつなぎたいって、考えが変わり始めたのです」 そして、お父様の様子をみて相談してみることに。 「そしたら、父の事務所が入っていたフロアでお前が何かビジネスしなさいって。いやいや、私は単純に賃貸オーナーとして引き継ぐくらいの気持ちだったから、最初はとんでもない!と思いました。でも父に『ビジネスは自分でやってみないと分からないんだよ』と。すると、また根拠のない自信が出てきちゃって」 【前編】では、結婚式場で週1で働きはじめた藤川さんが、周囲の評価と信頼を勝ち取って司会業としても成功した道筋についてお伝えしました。 ▶つづきの【後編】では、お父様から引き継いだスペースで、起業することになった藤川さんの奮闘と思いをお伝えします。はたして、新規ビジネスも司会業のように成果を出せたのでしょうか?
編集者・ライター/出版戦略コンサルタント 松井元香