アメリカ出身の私が、20年以上「日本語の歌詞」にふれてきて感じた変化
スマホに残る学生時代のプレイリスト
帰りの飛行機が離陸する頃には日が沈みかかっている。函館から東京に辿り着くまで2時間もかからず、普段乗っている太平洋横断の便に比べると大した長さではない。飲み物で出張の疲れを癒やして、少し微睡んだら、気がついた頃には羽田へ向かって着陸態勢に入っているはずだ。 前の座席の下に詰め込んだ手荷物にはパソコンが入っている。〆切が迫っている仕事をいくつか抱えていて、飛行時間を使ってやろうと搭乗口で待ちながら自分に言い聞かせた。しかし手は一向に荷物の方向へ伸びない。照明を消した夕方の機内でパソコンを取り出し、眩しいブルーライトを無遠慮に放つことに抵抗があるし、眠気が毛布のように重く暖かく覆い被さっているこの狭い空間の中で、これから集中して仕事をこなせるとは思えない。 デニムのポケットからスマホを取り出してイヤフォンをつける。仕事は諦めた。音楽を聴こう。しかし機内モードになっているためインターネットの接続がなく、いつも使っている音楽配信アプリを起動させてアーティストやアルバムをタップしても反応しない。別のアプリに切り替える。インターネットがなくてもスマホに保存されているMP3ファイルは聴けるはずだ。 しばらく開いていなかったアプリがゆっくりと起動して、数秒後にプレイリスト名がずらりと並ぶ。懐かしい。音楽配信アプリが主流になってから、MP3を集めたりキュレーションしたりすることはめっきりなくなったが、高校生や大学生の時に作ったものは依然として残っている。実家に帰ると、ときおり父親は地下室の段ボール箱に納められた数々のレコードを取り出して、懐かしいな、これは大学でよく聴いていたな、と誰にともなく呟きながらレコードをプレイヤーに載せて、思い出の音楽で家中を充たすことがある。父親の世代と違って、僕は昔の音楽を聴こうと思えば、屋根裏や地下室の荷物を漁るまでもない。機種を買い換えても、深い考えもなく他のデータとともに移行し、いつまでもそのままスマホに残っている。デジタルメディアだから、埃がたまったり、カバーアートが色褪せたりすることもなく、僕がいつかふとした思いつきで戻ってくるのを変わらずに待っているのだ。 学生時代、音楽のキュレーションは趣味の一つだった。ことあるごとに、そのためのプレイリストを作成した。画面に表示されるプレイリスト名を見るだけで記憶がよみがえる。「2009年夏、ノースカロライナのロードトリップ」とか、「2007年秋、火曜の夜の京都駅」とかいう風に、それぞれに特定の時間や場所や人の印象が付着している。その中に入っている曲を単体で聴いても何らかのイメージは浮かんでくるだろうが、こうしてプレイリストとしてパッケージされると、イメージだけでなくナラティブが想起される。 しばらくスクロールして古いプレイリストまで遡ると、デジタル化に拍車がかかる直前、高校生の時に作成したいくつかのミックスCDを、少し後でデータとして保存したものがある。2000年のフォルダーには「Japan Mix」と書かれたリストがある。その年の夏休みに初めて日本へ旅行した時に作ったCDだ。出発する前に、飛行機の時間に備えて作成したものだから、スマッシング・パンプキンズやアウトキャストなど、自分が当時ハマっていたバンドばかりで、「Japan Mix」といっても日本の曲は一つもない。だがそれはそれで合っているような気がする。あの夏を思い出すと、お店などがBGMとして流していた、アメリカと変わらない流行りの洋楽の印象が強い。 だがその後のプレイリストには、夏の旅で知った邦楽が少しずつ混じってくる。きっかけは、アメリカへ帰る前にもらったプレゼントだった。2週間のホームステイ中に訪問していた高校で何人かの生徒に仲良くしてもらい、帰るときに渡してもらったおみやげの中にゆずのCDがあった。帰国の便で、旅行のことを咀嚼しながらそのCDを聴いた。日本語がほとんどできなかったので、歌を理解するどころかボーカルを聞き取ることができず、アルバムジャケットに印刷された歌詞を読んでみても、読めない文字だらけだった。誰に向かって、何のために、どんなことを歌っているのか、全くわからない。だがわからない部分は、かえって自由に思いを馳せられる空白になって、言葉の意味や歌手の意図などに邪魔されることなく、音楽のリズムに乗って勝手に思い浮かんだイメージを楽しんだ。やや甘ったるくて、明るいポップス感が普段聴いていた音楽とは少し違ったものの、そのアルバムは過去2週間のことが本当にあった証しで、それ以上に聴きたいものはなかった。