『不適切にもほどがある!』最後の最後まで視聴者を魅了したクドカンの才能と仕掛け
クドカンこと脚本家の宮藤官九郎(53)と磯山晶プロデューサー(56)によるTBSの連続ドラマ『不適切にもほどがある!』が終わってから約1週間が過ぎた。 【写真】『不適切にもほどがある!』の脚本を担当した宮藤官九郎 テレビ界を30年以上にわたって取材してきたが、これほどまでに完成度の高いドラマは滅多にお目にかかれない。 ■ セリフにしたらカドが立つ言葉をミュージカルで まず5つの物語が混在する贅沢で複雑なドラマだった。5つとはホームドラマ、テレビ局を舞台にした業界ドラマ、青春ドラマ、教育ドラマ、SFドラマである。これらを過不足なく描ききり、その中には笑いと感動、風刺、そして余白があった。人気が出ないはずがない。 その上、ミュージカル場面も用意されていた。このミュージカルが単なる彩りでなく、このドラマにとって貴重なツールだった。セリフにするとカドが立ちそうな言葉は歌詞に盛り込まれた。 たとえば第9回では主人公で中学校教師・小川市郞(阿部サダヲ)の女婿である犬島ゆずる(古田新太)が、米映画『雨に唄えば』(1952年)を下地にして、こんな歌をうたった。♪パワハラ上司も鬼じゃない セクハラ上司も人の子――。確かにそうなのだが、これをセリフにしたら、視聴者の一部は反発しただろう。
■ 〈お断りテロップ〉という発明 「お断り」テロップもまた貴重なツールだった。1986(昭和61)年から現代にタイムリープした市郞が時代錯誤の発言をしたときなどに使い、観る側の抵抗を抑えた。 第4話では市郞が令和でカウンセラーとして勤務するEBSテレビ内で「ホモ」と発言したときにテロップが出た。「この主人公は1986年から時空を越えて来たため、現在では不適切な発言を繰り返します」。昭和の日本人の多くがホモという言葉の意味について誤った認識を持っていたのは事実だが、お断りテロップがなかったら、やはり一部視聴者が憤ったに違いない。 もっとも、ミュージカルとテロップはクドカンと磯山氏による皮肉でもあるはず。ドラマはフィクション。それなのに、過去の事実を描いても批判にさらされてしまいがち。それがテロップ1枚で一転、許される。不思議な話である。ちなみに欧米のドラマにはレイティング(視聴推奨年齢)こそあるが、お断りテロップなど存在しない。 構成も出色だった。最終回まで観ないと全体に通底するテーマである「寛容」という言葉が浮かび上がらず、5つ物語の着地点も見えなかった。