生放送中にニット帽が脱げてもツッコんでもらえず…がん公表「梅宮アンナ」が闘病生活を発信し続ける目的とは
人間関係を選び直す“がんセンサー”
とはいえ、周囲の受け止め方も難しいとは思いますね。さっき話した「サンデージャポン」には、ウィッグとニット帽を被って出演したんです。ところが、生放送の最中にニット帽が脱げて、床に落ちてしまいまして。ウィッグは無事だったので私としては何の問題もなかったんですが、普段なら真っ先にツッコんでくる爆笑問題・太田さんが何も言ってくれず、スタジオが凍りついてしまったんですよ(苦笑)。そういう場面を経験すると、病気の公表を経て、私に対する周囲の見方や扱いが変わったのを感じます。 〈アンナはこうも語った。闘病生活の中で見つめ直したのは人間関係も同じだ、と〉 決してお金に変えられないお友だちに支えられていることが分かって、その意味でいまが人生で最も幸せなんですよ。神さまがワンステージ上げてくれたと思う。私は“がんセンサー”と呼んでいるんだけど、人間関係において本質的なつながりしか考えられなくなる。神様が「あなたが付き合うべきなのはこういう人ですよ」って、教えてくれている気がするんです。一緒にいたいと思える人を、自分で選択するということ。がんに罹った人は、同じような感覚を抱くと思います。
「また梅宮家の女3人で」
思い返せば、パパもがんになってガラッと人生観、価値観が変わりましたからね。それまでは「銀座が一番」だったわけですよ。翌朝7時に撮影が始まると聞くと、「それなら朝6時までは飲めるな」って感じで……。それこそ、全盛期は“銀座にパジャマが置いてあった”と聞きましたよ(笑)。そんなパパが、36歳でがんになったら、途端に夜遊びもタバコもやめて、まだ幼かった私をロケ現場にまで連れて歩くように。やっぱり、がんを経験して、自分の中で完全に優先順位が変わったんでしょうね。 私にとっては娘のももか(百々果)の存在が大きいですね。21歳になったいまは「ママから離れて自分の力で生きてみた」とアメリカで生活しています。ただ、私の病気が判明してからは、毎日泣いて泣いて……。すでに仕事や住まいのあるアメリカに残るか悩んだようですけど、「私がいますべきことは、ママのそばにいることだよね」っていうことになって。「ママとの時間を取らずにアメリカに残ったらいつか必ず後悔する」って。 だから、病気になっても悪いことばかりじゃなくてね。ママも含め、梅宮家の女3人がまた一緒に暮らすようになるわけだから、これも運命的ですよね。 第1回【乳がん公表「梅宮アンナ」があくまで“標準治療”にこだわる理由 「誰かに効いたサプリが私にも効く保証はありません」】では、がん告知の瞬間や、標準治療を選んだ理由についてアンナ本人が明かしている。 デイリー新潮編集部
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