日本相撲協会「財団法人設立100周年」と霧島-水戸泉の激闘連続4番
【2番目】霧島のつり寄りを水戸泉がうっちゃり。軍配は霧島に上がったものの、再び取り直しに。
【3番目】水戸泉が寄って出て霧島が土俵際で体を開いて右上手投げ。軍配は霧島だったが、取り直しとなった。
【4番目】水戸泉が寄って出て霧島が土俵際で右へうっちゃり。きわどい相撲になったが、巨体を預けた水戸泉が寄り倒し。決着がついた。
陸奥親方(65)は「ひいき目じゃなく、自分では勝ったと思った相撲があったんだけどねぇ」と、この取組を忘れられない一番として振り返る。翻って100年後。勝負審判から物言いがつき、土俵下の審判長がマイクを持ち、「取り直しといたします」と館内に説明すると、現在でも決まったように大きな拍手が起こる。
NHKが大相撲の実況中継を始めたのは昭和3年春場所(1月)のラジオ中継からだった。当時、協会内には中継に反対の声が多かったといわれている。中継で楽しめれば、ファンがお金を払ってまで国技館に足を運ばなくなるとする懸念が理由だった。だが、少数派の親方が「放送を聞いて不入りになるとすれば、それは大相撲に魅力がないから。好勝負を聞いた人は必ず実際の取組をみたくなる」と説得。放送が実現した。
昭和44年夏場所。誤審防止を掲げ他のプロスポーツに先駆けて、勝負判定にVTRを参考として使用したのも大相撲だった。伝統を堅守しながら、革新的な英断の積み重ねが、命脈を保つ原動力になっていると思えてならない。
間もなく初場所(12日初日、両国国技館)が幕を開ける。ほろ酔い気分のテレビ桟敷で、100年後の土俵に思いをめぐらせてみてはいかがだろう。(奥村展也)