日本でセブンイレブンが普及した理由。現セブン&アイ・ホールディングス会長・鈴木敏文が行った流通革新とは
◆POSがもたらしたもの セブン-イレブンは1982年にPOSシステムを導入し、小売業の情報システム化をリードしていく。 当時、アメリカではすでにPOSシステムが使われていたが、その目的は、省力化、正確性の向上、不正防止といったレジ係の店頭業務上の対応にあった(セブン-イレブン・ジャパン1991)。 それに対して、鈴木は、売れ筋商品の把握と死に筋商品の排除という情報を把握するためのツールとしてPOSを活用したのである。 セブン-イレブンでは、本部、加盟店、問屋、メーカー、共同配送センターとの間に高度な情報ネットワークを構築し、効率的な配送や魅力的な商品開発を情報面からも支えるしくみを整えた。
◆安売りではない方法で利益を追求 以上のように、日本のセブン- イレブンは、物流や商品開発に加え、情報通信技術の活用にまで及ぶイノベーションを達成した。 安売りではなく、利便性の提供というコンセプトに基づく高い利益を追求し、その利益を本部と加盟店で分け合う。 中小小売店との共存共栄という初発の問題意識は、このような日本型コンビニのかたちとなって結実したのである。 この間、セブン-イレブンの国内店舗数は、1974年に酒屋からの転換による一号店が開店してから、1980年に801店、1990年に3954店、2000年に8153店へと大きく増加し(セブン-イレブン・ジャパン2003)、以下に示す売上高ランキングの通り、最大手のコンビニエンス・ストアとして業界の発展をリードしたのであった。 参考文献: 矢作敏行(1994)『コンビニエンス・ストア・システムの革新性』日本経済新聞社 川辺信雄(2003)『新版 セブン- イレブンの経営史――日本型情報企業への挑戦』有斐閣 鈴木敏文(2014)『挑戦 我がロマン――私の履歴書』日経ビジネス人文庫 ※本稿は、『消費者と日本経済の歴史 高度成長から社会運動、推し活ブームまで』(中公新書)の一部を再編集したものです。
満薗勇
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