死刑執行まであと10時間「この先も最後まで私の全力を尽くします」特攻隊長の信念~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#67
太平洋戦争末期、1945年4月に沖縄県石垣島で墜落した米軍機の搭乗員を処刑したとして、BC級戦犯に問われた幕田稔大尉。搭乗員を手にかけた5年後の4月6日、スガモプリズンでの死刑執行を前に、遺書を書き続けていた。手が疲れては少し休み、また書いてを繰り返し、生涯最後の日を過ごしていた。故郷の山形には老いた母と妹2人と弟がいた。31歳の幕田が、兄として遺した言葉はー。 【写真で見る】死刑囚たちに最期まで寄り添った田嶋隆純教誨師
生涯最後の日 兄として遺した人生訓
海軍の特攻隊、震洋隊の隊長として石垣島に赴任した幕田大尉。出撃することはなかったが、英米軍からの空襲が激しくなり船便も途絶する中、食糧調達のために、抜刀して島民たちを脅すこともあった。米軍が作成したスガモプリズン入所者の基本データには、1947年2月入所時の幕田の身長と体重が記されている。身長165センチ、体重62キロ。髪は長髪でくせ毛の前髪が額にかかっている。1年前とはいえ、死刑を宣告されている表情よりずっと柔らかい印象だ。 幕田稔の遺書は長文だが、幕田の最期を見届けた田嶋隆純教誨師は、「わがいのち果てる日に」(1953年講談社)に、かなりの頁を費やして掲載した。この本は2021年、「わがいのち果てる日にー巣鴨プリズン・BC級戦犯者の記録」というタイトルで、講談社エディトリアルから復刊された。「刀剣と歴史」(昭和57年11月号)には掲載されなかった部分をここから紹介する。家族に向けた「昨日今日の日記」と題した遺書。兄として弟、妹への人生訓が記されている。(現代風に書き換えた箇所あり) 〈写真:死刑を宣告される幕田稔大尉(1948年 米国立公文書館所蔵)〉
真の独立から自由が生まれると信ず
<幕田稔の遺書(昨日今日の日記)> ○子、弟、○子様、私の生活信条の一つは人に過度に頼らぬことです。自分の全力を尽くして天命を待つにあります。真の独立から自由が生まれると信じます。自分で一人立ちできない人は人生の落伍です。自分のことは自分で処理する覚悟を持ちなさい。それで失敗したら他もうらまず自分でも納得がゆくでしょう。 今度の件でも最初から私は自分では全力を尽くしたと信じます。そして今の今まで全力を尽くして勉強して来ました。決してものごとを中途で投げてはいけません。だから私は形の上では権力に敗れましたが、真の意味の人生の勝利者だと深く確信しています。 〈写真:わがいのち果てる日に(初版)1953年講談社〉