【兵庫県知事選】市民派・稲村和美前尼崎市長が語る「斎藤元彦県政では混乱が続くだけ」
■ 「市民派」の看板と組織的支援の落差 今回の知事選では、立憲民主と国民民主の両党県連が稲村支援を表明し、自民党県議団の半数程度と県内市町長の多くも稲村支持で動いている。 一方で、稲村の政治スタンスを敬遠する声もある。自民党内には「リベラル左派色が強く、一緒にはやれない」という県議・市議も少なくない。実際、同党神戸市議団はそれを理由に、維新を離党した清水貴之元参院議員の推薦を決めた。 稲村の立ち位置についてもう一つ指摘されるのは、市民派の看板と陣営の「見え方」の落差だ。 自主支援という形ではあれ、国会から市町議会までの議員や首長、労組や市民団体などがついている。第一声の街頭演説には、各党議員や首長が居並び、県議やベテラン市長らがマイクを握った。聴衆にも議員バッジを付けたスーツ姿が目立った。つまり、何らかの組織に属する政治や選挙のプロが多い。 その光景を、日々の駅立ちやSNSの情報発信から広がり、バラバラな個人を糾合する斎藤陣営と比べた時、どうしても「既得権益集団」に見えてしまう。特定の政党に属さず、市民の立場から、党派を超えて協調・連携するのが従来の市民派だったわけだが、ネットで個人を動員できるようになった時代には、その言葉が表すイメージも変わってきている。 無所属市民派を貫く稲村の政治スタンス、斎藤県政への評価、そして兵庫県政でめざすことは何か。本人の言葉を聞いてみよう。 先述したように稲村は尼崎市長を退任した時点で、一度は政治家を引退した。後援会も解散し、大学の客員教授やテレビのコメンテーター、講演活動などで多忙だった。そこからの再起動は容易ではないはずだが、なぜ決断したのか。
■ 「斎藤氏は謝るポイントがズレている」 「理由は大きく二つです。一つは、文書問題で斎藤前知事の答えがあまりにも頑なだったこと。立ち止まって修正する局面は何度もあったのに、彼は最後の最後まで(内部告発者を探し、懲戒処分した)初動対応に誤りはなかったと言い続けました。 そして議会の不信任にまで至った。失職表明の会見で、ここは間違っていた、法的に問題はなくても、もっと適切なやり方があった、今後はこう改めたいと、再生への意志を感じられれば、自分が出ることは考えませんでした。 しかし彼の返答を聞く限り、これは混乱が続くと思いました。誰かが新たなリーダーとなって県庁をマネジメントしなければ収まらない、と。その役割に、県議と市長をやってきた私の経験を生かせると、党派にかかわらず多くの方からお声がけいただいた。それが決断した二つ目の理由です」 パワハラや“おねだり”の疑惑に対し、斎藤は「自分も至らない点があった」と一定の反省は口にしているが、稲村は「謝るポイントがズレている」と指摘する。 「机を叩かない、物品受領の内規を作る、職員に感謝を伝えると言っておられますが、問題の本質はそこではない。(20メートル歩かされて激怒した件で)この先は車が入れないから皆さん降りてもらっている、(授乳室を知事控室に使った件で)ここは授乳室だから使えませんと、ごく当たり前のことすら職員が知事に言えない。自分は知らなかったから悪くないと彼は言いますが、それは違う。授乳室を控室にさせてしまうような組織のマネジメントが問題なんです」 問われているのは結局、「知事の資質」だ。ただ、稲村は斎藤の就任時、彼に期待したと繰り返し語ってきた。斎藤の前任だった井戸敏三知事以前の県庁は、組織の硬直化が指摘されており、前回知事選で斎藤が当選した背景にも有権者からの刷新や若返りへの期待があった。