『おむすび』は朝ドラだからできる物語構造に 根本ノンジが描き続ける“支えること”の本質
NHK連続テレビ小説『おむすび』が放送の半分を終え、新年から後半に突入する。2024年最後の放送、第13週「幸せって何なん?」では、星河電器社員食堂の栄養士として働く結(米田結)と、同社の社会人野球部でピッチャーをしていた翔也(佐野勇斗)のカップルに破局の危機が訪れた。 【写真】結婚を反対され困惑気味の結(橋本環奈)と翔也(佐野勇斗) 将来はプロ野球選手、さらにはメジャーリーガーを夢見ていた翔也が肩を故障し、野球の道が閉ざされてしまった。人生の目標を見失った翔也は、結を「幸せにすることなんてできねえ」と、別れを切り出す。しかし年内最後の放送となる第65話で結は、「うちは翔也に幸せにしてもらおうなんて思っとらん。2人で幸せになる」と誓い、「逆プロポーズ」をするのだった。この言葉はいわば、「自分の幸せは自分で決める」という結の声明に他ならない。 物語の序盤で、結は極めて受動的な主人公だった。震災のトラウマと姉・歩(仲里依紗)への屈折した感情を抱えながら、結は父・聖人(北村有起哉)の心の傷にも共鳴しすぎていた。娘・歩ときちんと向き合えなかったという後悔を抱え、神戸に帰って理髪店をやりたいという本心に蓋をして、家業である農業に専念していた聖人。そんな父と歩調を合わせるように、親に心配をかけない孝行娘の役割を果たし、平穏無事に人生を過ごすことが結のミッションだった。 「本当にやりたいこと」「こうありたい自分」を心の奥深くにしまいこんで、家業を手伝い、そのまま農家を継いで生きていくのだと自分に言い聞かせていた結。彼女は、一瞬で全てを奪い去った震災の記憶から、夢や好きなことを持ったとしても「いつかはなくなる」という固定観念にとらわれていたのだ。橋本環奈が瞳の奥に暗闇を宿しながら、結の諦観を見事に表現していた。 言ってみれば前半3カ月は、結が「受動的な主人公」から「能動的な主人公」に成長するまでの物語だった。その境地に至るまでには、結自身によるスモールステップの絶え間ない積み重ねがあった。ハギャレンと、彼女たちが体現する「ギャルマインド」との出会い。姉・歩との対峙をはじめとする家族との対話。結が過去の震災と、そして自分自身と向き合い、心の中に何枚も重なった「蓋」を自分の手でひとつひとつ外していったこと。心の奥にある「本当はどうしたいのか」という声に耳を傾け続けたこと。過去に縛られるのではなく、今、この瞬間を思いっきり楽しんで生きることの大切さを知ったこと。 『おむすび』はこうした、小さな日常の積み重ねの延長線上にある、人物の変化や成長を丁寧に描き続けている。これは、毎日15分×半年間という「連続テレビ小説」の特性を最大限に活かした表現であり、同時にとても胆力の要る描写だ。「善と悪」「正と誤」のように、原色のポスターカラーでパキッと色分けされた描写とは違い、『おむすび』の描写は水彩画のグラデーションのうようだ。複雑な要素が微細に混じり合い、隣の色とやわらかく影響しあっている。 こうした「淡い」描写が、「スカッとジャパン」的な作劇を好む視聴者には嫌われるのかもしれない。しかし本作の作り手は、常套手段で手に入る「わかりやすさ」を選ばなかった。それは、数多の被災者への取材を通じて得た「震災で傷ついた人の『心の問題』は簡単なことではない」という実感を肝に銘じているからであろう。「複雑で難しいこと」を、力技で単純化して枠にはめ込むような真似はせず、そのまま「難しい」と描いている。