『おむすび』は朝ドラだからできる物語構造に 根本ノンジが描き続ける“支えること”の本質
結、歩、聖人。そして歩の親友で震災で亡くなった真紀(大島美優)の父・孝雄(緒形直人)。それぞれが震災で負った傷と「心の復興」が、それぞれのかたちで描かれた。「こども防災訓練」の準備の際に結が語った「野菜の成長のスピードがそれぞれ違うように、立ち直り方も、立ち直るスピードも人それぞれ違う」という真理が、物語全体に貫かれている。 「自分が好きなことは貫け」という「ギャルの掟」を胸に、栄養士という夢に向かって歩き出した結。亡くなった真紀の代わりに「ギャル」を生きてきたと思っていたけれど、それは間違いなく自分の人生だったと気づいた歩。理容師の仕事と、震災直後にやり残した「神戸の人たちへの恩返し」というライフワークに立ち戻ることができた聖人。巡り巡ってやってきた娘・真紀の思いに後押しされ、「ギャル靴カスタム」をきっかけに靴職人の矜持と生きる力を取り戻した孝雄。 それぞれの「心の復興」の過程もペースも、「皆一様に」「とんとん拍子に」というわけにはいかないと描かれた。あれだけ反対していた商店街のアーケード建設に、真紀の気持ちを知って全力で取り組み出した孝雄だったが、出来上がってしまえば「燃え尽き症候群」のようになり、再び心を閉ざしてしまった。震災直後の結の「冷たいおむすび」の記憶を「栄養士を志す直接の動機」にはせず、「彼氏の翔也を支えたい」という動機で始めたけれど、その仕事の難しさと奥深さを学んでいくことと並行して、うっすらと、しかし確かに結の中にあった重要な記憶が蘇ってくるという作劇に唸った。本作は「被災者の気持ちの揺り戻し」や、「無意識下の記憶が、後々その人の人生に大きな影響を与えることがある」ということまで描いている。 「無意識下」といえば、序盤で「受動的な主人公」だった結が、実は自らの生きる道や幸せを、意図せず自ら引き寄せていた。第1話で、帽子を海に落とした男の子のために、結は「米田家の呪い」「うちは朝ドラのヒロインか」と自嘲しながらも海に飛び込んだ。しかし、祖母・佳代(宮崎美子)が言ったように、それは「呪い」ではなく「ご縁」で、この出来事から将来のパートナーであり、栄養士の夢への最初のきっかけとなる翔也と出会う。さらに、泣いている男の子にトマトを差し出し、結がかけた「おいしいもん食べたら、悲しいことちょっとは忘れられるけん」という言葉は、その後の結の進む道を暗示していた。 『おむすび』の世界で生きる人たちは、何か劇的な出来事や、誰かの「魔法の演説」によってコロッと心変わりたりしない。小さな日常の積み重ねの先、彼女ら彼ら自身の足でスモールステップを踏んだ結果として、少しずつ変わっていく。立ち直っていく。 「自分自身の足で」。これがとても大切なことなのではないかと思う。とどのつまり、自分の傷を癒せるのは自分しかいない。このドラマのなかでは、「『支える』とはどういうことなのか」という問いがくりかえしなされているが、他者からの「支え」はあくまでも「補助機能」だ。もちろん、決して「支えても無駄」という話ではない。 立ち直ろうとしている人が「自癒」できるようにサポートすること。これが「支える」ということの本質なのではないだろうか。これから結が栄養士として成長していく過程で、こうした「『自癒』へのアシスト」、ひいては、もっと大きな意味合いでの「支え」が描かれていくのではないかという期待が高まる。前半で結自身の「自癒」を経て、今度はそれを、たくさんの人たちに還元していく。栄養士として結のますますの邁進を、後半に期待したい。
佐野華英