「竹下登総理の孫と言われるのは肩身が狭かった」DAIGOの姉・影木栄貴 優等生が「BLは私の魂の叫び」と両親に訴えた過去
── 受験されなかったのは、ご両親の教育方針もあったのでしょうか。 影木さん:いや、そういうわけでもなく。親友は塾に行って中学受験すると言っていたんですが、当時の私は何も考えてなくて。中学は普通に、公立に行くものっていう考えしかなかったんです。母自身も中学は公立で、高校から私立の学校に行ったので、お受験の知識があんまりなくて、考えが及んでいなかったみたいですね。
■両親にBL漫画の創作を反対され「私の魂の叫びなの!」 ── その後、大学在学中に出版社で編集のアルバイトをしながら同人活動を始めたそうですね。卒業後はその会社に就職して漫画編集者となり、その後プロの漫画家に。ご自身で道を切り開いてきたわけですが、ご両親から職業に対する反対はありましたか? 影木さん:小学校のころから夢は漫画家で、中学時代は時間があればノートに自作漫画を描いていました。ノート漫画は12巻の超大作になって、そのスピンオフが何冊もあったほど。それくらい、家でずっと漫画を描いてたんですよ。そんな子に「漫画を描くな」とは言えませんよね(笑)。ですから、両親は漫画家になること自体には反対してなかったんですけど、BL作品を描くことについては、ひと悶着ありました。
──商業誌でプロデビューする以前から、同人誌活動でBLの人気作家になっていたんですよね。 影木さん:当時、存命中だった祖父に迷惑がかかるかもと問題になり、母が「BLじゃない漫画だけ描くわけにはいかないの?」と言い出して。「BLは私の魂の叫びなの!BLが描けなかったら、私の心の穴は埋まらない!」と熱く訴えたら、どうにか折れてくれました。その後、両親から「あなたの人生です。あなたの信じる道を生きなさい」と書かれたファックスが送られてきて。最終的には認めてくれたので、理解がある親なんだろうな。学生時代は反抗期もなく、親の言うことを守る子だったので、漫画家になってから両親に「不良」と言われるようになりましたけど(笑)。