【毎日書評】AIにはできないこと、人間だからできることを伸ばせ。その理由は?
「AIが仕事を奪う」とはどういうことか
しばしば、「将来、AIに仕事を奪われる職業ランキング」というようなトピックスを目にすることがあります。しかし、そこには目を向けるべき疑問が絡んでいるのも事実。 そもそもテクノロジーの目的は、人の日常をより楽に、便利にすることにあります。すなわち、それまで人がやってきた作業と置き換えるために生まれたものだということ。 たとえば私たちが当たり前のように電卓を使用しているのも、電卓が便利だからにすぎません。したがっていちいち、「電卓に計算能力を奪われた」と悔しがることはないはずです。 なのになぜ、AIに限って「奪われる」という認識を強くするのでしょうか。そもそも、そこが間違っているのかもしれません。 AIは道具であり、その能力を発揮させるのは使う人次第である。AIの専門知識を持たずとも容易に利用可能な時代に突入しつつある状況のなかで、人がすべきことを、AIを道具として活用することで前に進めていけば、新たな可能性が見い出せる確度は高い。一方で、進まなければ現状維持となるだけであり、進む人々とそうでない人々との差がどんどん開いていくことになる。(118ページより) このことに関連し、考えなければならないのは「私たち自身がAI化しつつあるのではないか?」ということだと著者は述べています。 日常生活において私たちが接する情報はあまりに多く、しかもそれらの大半は自分で選んだものではありません。プラットフォーマーの独自のアルゴリズムによって選別された情報なのですから、知らず知らずのうちに、偏った情報に接しているともいえるわけです。 ましてや、重要な判断を下すための時間も限られています。熟考する時間は与えられず、即断即決するしかなくなるということです。そのため最終的な判断は、じっくり考えた末のそれよりも質が下がることになるでしょう。 また、「注目されることに意味がある」という価値観が台頭してしまうと、本当に価値のある情報、本当に伝えられるべき情報が、“目立ちたいだけの表面的な情報”のなかに埋もれてしまいます。アクセス数が多いほど、承認欲求が高まるというように。 こうした状況をふまえると、人というものが中身のない表層的なシステムへと変貌しつつあるように感じてしまう。これでは入力に対して適当に出力を返す単純なシステム化である。AI化しつつあると言ったが、AIのような豊富な知識もなく、しっかりした文章を生成できるわけでもないとしたら、劣化したAI化である。これでよいわけがない。(120ページより) しかもAIには、今後の技術の発展に伴って、豊かな感性や自ら考える自律性など、本来の人間が持つ能力を獲得できる可能性があります。そう考えただけでも、「これでよいわけがない」のは自明の理だといえるのではないでしょうか。(116ページより)